2022.02.25
2022年2月24日,ロシアがウクライナに侵攻したとの報道がありました。
これにともない日本のtwitterでは侵攻を非難する内容が多数投稿されるとともに,なぜか憲法9条に対する八つ当たりのような内容が見受けられます。例えば「9条で戦争を止められるなら,ウクライナに行って戦争を止めてこい!」といった趣旨の内容です。少し冷静さと理性を欠く内容と思われます。読む側も,こういった投稿に流されないようにしていただきたいと思います。
一般国民であれば多少の逸脱も理解できなくはないのですが,国会議員も冷静さを欠いた議論を始めているようです。予め申し上げますと,私は以下の議論のいずれにも賛成する立場ではありませんことを前提にお読み下さい。また全ての流れを見たわけではないので,誤っていたら申し訳ありません。概ねの流れとしては,ある国会議員Aが「侵略行為をするようなリーダーが選ばれても国家として侵略行為ができないようにするのが憲法第9条である。」という趣旨の発言をしたのに対して,他の国会議員Bが「それでは他国のための9条になる。9条によっても他国からの侵略は防止できない。」と反論したとのことです。この議論は噛み合っていないように思われます。Aの発言は「憲法9条のような規定を持つ国家による侵略行為が防止される」ということにとどまるのですが,なぜかBの反論はそこから「他国が侵略してくる」という話になっています。Aは侵略行為を非難する立場から,自国による他国に対する侵略行為を防止する手段としての9条の話をしているのに対して,Bは国防の見地から,他国による自国に対する侵略行為を防止する手段としての9条の話をしています。前提が共有されていないため,いくら議論しても噛み合わないのだと思われます。どちらが正しいということではなく,混乱を避けるため議論自体をしない方が良いのではないでしょうか。以前も述べましたが,twitterは文字数が限られているため,複雑な議論には向きませんので,twitter上での重要事項の議論は控えた方が良いように思われます。
では9条に他国からの侵略を防止する効果がないかというと,あると思います。歴史上,特に現代において,真正面から「地下資源が欲しいです。」「海に通じるルートを確保したいです。」などと明示して侵略行為を開始した国はほとんど存在せず,他国からの脅威などを口実とした防衛行為と称して開始されることが多いといえます。今回のウクライナについてもNATOの脅威やウクライナによる親ロシア人民への広い意味での侵略に対する防衛を口実として侵攻が開始されました。このように侵略者の多くは侵略対象に「侵略者」のレッテルを貼ることで自己の行為を正当化しようとする傾向があります。ここで侵略対象国に9条のような規定が存在する場合,国家として侵略行為を行うことができないことから,「侵略者」のレッテルを貼りにくくなり,その結果として侵略を受けにくくなるという効果はあるといえるでしょう。この点については「9条があっても政権が暴走すれば侵略できてしまう。」との反論もあるでしょうが,それは人の問題であり,国家法規範についての議論を逸脱してしまいます。
9条について国民が興味を持つことは悪いことではありませんが,一時の焦燥感などから一面的な見方で突き進むことは避けなければならないと思います。
これを機会に,しばらく私も憲法9条について考えてみたいと思いました。
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2022.02.22
国立大学の前期日程を数日後に控え,国立大学受験生の方々は最後の準備に入っているかと思います。私大進学が決まっている方は,ほっとしていたり,好きな本を読んだりしている方が多いかも知れません。約2週間後には大半の受験生の結果が決まることになります。
最近では漫画等の影響もあり,中学受験が増加するなど,日本における受験熱は高まる一方のように思えます。Youtubeでも東大生や京大生またはそれらの卒業生が多くの動画をアップしている状態です。学習塾の動画も目立ちます。
しかし受験熱が高まる一方で,受験制度の歪みや受験による子どもの精神的苦痛についてはあまりケアされていないように思われます。
受験制度の歪みでいえば,数年前に医学部受験における女子差別が話題になりました。この点については是正され,女子合格率が上がったとの報道がありましたが,想像していたほどの変化は感じられません。他方で毎年のように報道されるのが,東大における学生の男女比です。現在における女子の比率は20%程度らしいのですが,私が在学していた頃に比べると増加したようです。私自身は多様性を重視するなどと言いながら,無理をしてでも男女比を半々にするという指針はおかしいと思っていますが,心から進学を希望する学生のためということで,この点について考えました。
現在の政策では,地方の女子生徒が東京の大学に進学することを実家の親が反対するという構図を前提として,女子だけに安全で綺麗で便利な寮を整備したり,金銭を支給したりといったことが行われているようです。しかし,このような政策は東大合格者の出身校等のデータを無視した的外れな政策のように思われます。現在の東大合格者の多くは都心に近い中高一貫校またはトップ公立校出身者で占められています。地方については大都市の進学校出身者がほとんどであり,性別関係なく東大への進学は狭き門になっています。こういったデータから考えますと,前記のような政策を講じたとしても女子生徒が東大受験をする動機にもならず,受験する女子生徒が増えたとしても男女比を半々にするにはほど遠いことがわかるはずです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
近年,私の同期や同年代の知人の子どもが受験をする話を聞くことが増えていますが,その度に思うのは,女子の中学・高校受験が大変だ,ということです。誤解を恐れずに表現すれば,優秀なカテゴリーに含まれるはずの女子が能力に見合う学校教育を受けられていない状態になっていると思われます。原因は複数あると思うのですが,トップ層についていえば,中高一貫の女子校が少ないということがいえると思います。男子については開成や灘を初めとする中高一貫校が都心に限らず地方にもたくさんありますが,女子については都心でも多くはなく,地方にはほとんどないのではないかと思われます。そのため都心の中学受験において女子受験生が一定のラインより下に入ってしまうと,あるべきレベルよりも相当低いレベルの学校に入学しなければならないことになります。その結果,トップ層より少し低いレベルの共学校では同じ学校であるにもかかわらず女子の偏差値が高い,といった現象が発生します。女子の中学受験を経験した親御さんにはご理解いただけると思います。こういった現象が下に向かって順繰りに発生していくと,中堅校あたりで女子の方が大幅に合格最低点が高いという現象になります。報道では中堅校で発生する当該現象を採り上げて男女差別と非難し,中堅校における男女の定員を取り払うべきとの意見が出ています。しかし,この意見は受験制度の歪みの本質をとらえていないとしかいいようがありません。
前述のように,現在における受験制度の歪みは,上位層における中高一貫校の女子の定員が少なすぎることであり,中堅校における合格点の差はその影響にすぎません。つまり中堅校に入学する女子を増やしたところで歪みは改善せず,むしろ歪みが固定され,歪みを促進するおそれすらあります。この歪みを本質的に是正するためには特に中学におけるトップ層の女子の入学者を増加させる必要があります。つまり上位層における中高一貫の女子校を増やす必要があるわけです。
これが実現できれば前記中堅校における差はある程度解消され,東大受験をする女子も効果的に増加するはずです。
国公立の女子校を新たに作ることは平等権との関係で困難であるため,私立に期待するほかありません。国が本気で女子の進学について問題を解決したいのであれば,補助金でも特区でも駆使して私立の中高一貫女子校を増やし,並行して既存の中高一貫の女子校をレベルアップすることも考えるべきではないでしょうか。
色々と述べましたが,このトピックについては持っておいていただきたい視点があります。受験における性別に基づく差異については平等の視点から語られることが多いですが,単純な性別間の平等だけが問題なのではないということです。つまり,前記のように現代における受験制度の歪みの本質は,ある能力を有している女子学生が希望する水準の教育を受けられていない,ということです。憲法は教育を受ける権利を保障していますが,「その能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利を有する。」と規定しています。前記の受験制度の歪みは同規定の趣旨に反する可能性があり,一定の女子学生の学習権が侵害されていると評価し得ることついても考えていただきたいと思います。また女子学生に限らず,男子学生の中にも能力に見合った教育を受けられない子らが存在し,その子らに対する配慮も必要であることを忘れないでいただきたいと思います。
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2022.02.19
受験シーズン真っ盛りですが,高校2年生の方々は文系・理系の進路選択に迫られている時期ではないかと思います。
私は高校時代に文系・理系選択で混乱した行動を採った経験があります。私は当初,医学部志望であったため,理系選択(物理・化学・地理)を学校に提出しました。社会はセンター試験でしか使わないと考えていたので,あまり勉強していませんでした。しかし親から「国公立であっても6年間の学費が払えない」ということを告げられ,医学部志望を断念し,文系に変更しました。そのまま理系に進まなかった理由は,理系に進学した場合,大学院に進学する必要があり,結局学費が支払えない見通しが強かったことや,医学部でないなら薬学部,理工学部,といった感覚に違和感があったためです。文系として受験したのは日本史・世界史・生物です。一科目も重複していないのは今考えてもおかしいと思います。
このようなケースでは数学や理科が苦手で文転したと思われがちですが,そうではありません。私は理系科目の方が成績が良く,苦手な科目はありませんでした。これに対して文系科目の特に歴史が苦手であり,東大文系学部受験に社会が2科目必要であることを知った際には絶望しました。地理は学校で開講されなかったので選択できませんでした。そんな私でも東大文Ⅰに合格できたので,文系科目が苦手でも,やり方次第で文系学部進学は可能ということだと思います。
これに対して理系科目が苦手である場合の理系学部進学は困難を極めるイメージがあります。工学部,物理学,数学といった分野に理系科目が苦手でも進学したいという人はいないと思うので,問題となるのは医歯薬農学部,特に医学部でしょうか。最近では数学などを受験科目としない医学部もあるようなので,どうしても,という方はそういった大学を探してみてはいかがかと思います。医学に数学や物理学は必要ないではないか,と考える方も多いともいます。医学部において数学や物理学が必修化されるなど重視され始めた流れは,私の記憶が確かなら,利根川進氏がノーベル賞を受賞した際に,生物学,化学,医学的なアプローチではなく物理学や数学的な解析アプローチを重視していたような情報があったことから広まったように思います。間違っていたら申し訳ございません。確かにDNAの構造や分子構造といった超ミクロの世界を映像化し,構造を研究できるようになった現在においては物理学や数学的解析が生きるというのはその通りかも知れません。しかしながら,これらのアプローチは基礎研究を前提としており,それ以外の臨床医学等の重要性が無視されているように感じます。医師の多くは患者を相手に治療を行うのであり,必ずしも数学的,物理学的アプローチを必要としません。数学や物理が苦手でありながら医学の才を持つ人はいると思います。多様性が重視される昨今,医学部受験においても数学や物理学を苦手とする方の道を封じない策を採っていただきたいと思います。
医学部の話ばかりしてしまいましたが,今後,大学においては受験の段階で文系・理系を完全に分けない方向に向かうと思われます。理由はいずれ述べたいと思います。そういった時代の到来に備えて,また将来,色々な選択ができるように,受験生の方々は好き嫌いせず,幅広く基礎的な勉強をしてほしいと思います。
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2022.02.11
受験シーズンに突入しています。受験生の皆様には自分の力を発揮していただきたいと思います。
とはいえ今年の大学受験では共通テストの段階で受験生を不安にさせる事件がいくつも起こっています。共通テストの会場で刺傷事件が発生し,スマートフォンを使用したカンニングが発生し,数学ⅠAは前代未聞の難易度で多くの受験生のメンタルを壊しました。
数学ⅠAについては,あまりに話題になっているため,問題を拝見しました。私は受験で数学を利用していたので過去のセンター試験などの傾向は理解しておりますが,印象としては「難易度調整のミスかな?」という感じでした。少なくとも時間内に解くことは無理だろう印象です。とはいえ,全受験生にとって難しかったということなので,冷静に得点分布などを分析して,過剰に弱気にならないようにしていただきたいと思います。
スマートフォンを使用したカンニングについては氷山の一角で,スマートフォンを使用した類似の事案は多発していると思います。話は逸れますが,youtube動画などで「チート」という言葉が普及した現在では,「カンニング」も「チーティング」に変えていった方が良いのではないでしょうか。それはさておき,このニュースで私が理解できなかったのが,カンニングをした学生が東京の私大文系を目指していたという情報です。私のイメージでは,私大文系の受験生は,共通テストを受験しないのではないか,受験するとしても,そこまで必死に受験する必要がないのではないか,といった感じです。現在は私大文系の共通テスト利用が多いのでしょうか。カンニングをして多少の得点を上げるよりも,私大文系の一般受験を頑張った方がコストパフォーマンスが良いのではないかと疑問に思いました。
共通テスト会場での刺傷事件については,ついにここまで来たか,という印象です。2019年5月30日付けブログの記事で私は,貧困から満足な教育が受けられない子どもだけではなく,ありがた迷惑な押しつけ教育・受験に苦しむ子どものケアが必要であることを主張しました。当時から2年半,コロナウイルス感染拡大による社会の閉塞感を経て,歪みが明らかになった感があります。Youtubeを初めとする動画の普及やテレビ番組での高学歴カテゴリーの流行により,より広い層の方々の間で,昔よりも高学歴(特に東大や医学部)ブランドに対する執着が強くなってきたように思います。執着しているのは主に親ですが,受験をする子においても,東大や医学部に入学できなければ人生が終わってしまうような強迫観念にとらわれているように見えます。しかし彼らが執着しているのはあくまで「ブランド」であり,中身が伴っている印象はありません。25年前に大学受験を経験した私からすると,このような思考はもったいないと思います。私から言わせてもらえば,現代の子どもたちは,海外の大学を含めた広い視野で進学を検討してもよいと思います。私が子どもの頃は,親が海外で働いていた等の特殊な事情がない限り,海外の大学に進学するといった選択肢は皆無であり,あり得ないものでした。また政府,マスコミの偏向もあると思いますが,外国の情報といえばアメリカの情報くらいしか得られませんでした。しかし現在では海外にインターネットで容易につながることができ,情報を得ることができるようになりました。このような環境を利用しないことは,私からすればあり得ません。ある程度の学力がありながら,日本の受験になじめない子がいたら,少し視野を広げて世界の大学の情報を調べてみることをお勧めします。もちろん海外の大学に進学しなくてもよいのであり,世界の広さと,日本の大学より良い大学がたくさんあることを知ってほしいと思います。そして狭矮な受験制度の中にうずもれ,悩んで,自分を壊すべきでない,と気付いてほしいと思います。
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