2020.10.30
引き際を誤ると自分の首を絞めることになる場合があることについて日本学術会議の任命拒否問題を例にして述べましたが,これと似たようなことが大阪市で起こっています。
問題となっているのは,大阪都構想の住民投票に関して,大阪市を4つに分割した場合のコストとして218億円を要する可能性がある,という報道に対して,大阪市長をはじめとする都構想推進派と思われる方々が「誤報」であるとしている問題です。この問題は推進派とマスコミの間にとどまらず,大阪市財政局の職員の処分にまで及んでいるようです。
この問題には複数の論点がありますが,そもそもの問題として上記報道は「誤報」なのでしょうか。
「誤報」の定義は複数ありますが,少なくとも権限のある機関が出した情報をそのまま報道することが「誤報」に当たらないことは明らかでしょう。例えば内閣府がリリースした統計数値をそのままマスコミが報道し,後日計算方法が誤っていたということが過去にありましたが,これは「誤報」ではありません。今回の大阪市の報道についてもマスコミは大阪市財政局が出した数値を報道したのですから,「誤報」には当たらないはずです。
誤っているとしたら大阪市ということになりますので,責任は大阪市ないしその首長にあるということになります。
上記報道が誤報ではないとして,推進派は218億円という数値が「捏造」された数値であるとも述べています。
「捏造」とは簡単に言えば「でっちあげ」ということです。今回の大阪市財政局の試算は「でっちあげ」なのでしょうか。報道によると「捏造」と主張する方は理由として考慮要素が足りないといったことを述べているようです。しかし,考慮要素の過不足をもって「捏造」になるのであれば,政府やシンクタンクが出している予測数値も全て「捏造」になってしまうでしょう。またこれを今回の住民投票に当てはめれば,都構想推進派が試算した大阪市廃止によるコスト減等の予測数値,試算も反対派から見れば考慮要素に過不足がありますから,全て「捏造」です。つまり,都構想推進派の主張を突き詰めれば都構想推進派の主張も根拠がなく「捏造」であり,これを報道(広報を含む)することは「誤報」になるということです。都構想推進派はこの点を見落としたか,敢えて無視をして強弁しているように見えます。その意味で都構想推進派は既に引き際を誤っていたように思われます。
さらに言えば,都構想推進派は大阪市を4区に分割した場合に,どの程度のコストを要すると考えているのでしょうか。この数値を都構想推進派は明確には出そうとせず,正確な計算,数値を聞かれるとはぐらかすような態度に出ていることがわかってしまいました。都構想推進派は上記「誤報」「捏造」の主張を引かなかった結果,自分達が聞かれたくない点について説明を求められる立場になってしまったということです。都構想推進派が自己に有利な数値を持っていれば当初から出ていたはずで,いつまでたっても示されないことで住民に「もっとコストがかかるのでは?」「他にも隠し事があるのでは?」という疑念を抱かせてしまったかも知れません。結果的に都構想の説得力を一気に下げてしまった可能性もあります。この点においても都構想推進派は引き際を誤ったといえます。
このように見てみると,都構想推進派は住民投票が近いこともあり,問題となった当初から「引くに引けない」状態であったのかもしれません。住民投票で賛成多数になれば自分達が言ったことも忘れてもらえる,正当化されると考えてその場しのぎの恐怖政治を行っているようにも見えます。特に大阪市長が責任を持つはずの大阪市財政局の試算の正当性を自ら否定し,処分を下すことは首長自身の責任をも認める意味を内包する行政行為であり説明に窮するものです。この構造は,いわゆる森友問題などで官僚の方々に起こった不幸な事件を彷彿とさせます。
よく考えるべきなのは,都構想推進派が引くに引けないとしても,住民投票で賛成多数となった場合,上記の問題が現実の問題として大阪市と大阪府に突きつけられることになるということです。その時にはきっと,言い訳と帳尻あわせのための「捏造」が繰り返されることが目に見えています。かかったコストがなかったことにされ,必要のない予算が計上されるのです。ここ数年,日本国民は「隠蔽」,「捏造」や「論点ずらし」ばかりを見せられ続けて疲れ果てています。これ以上醜く卑怯な政治につきあわされないためにも,先々のことを考えた投票行動が望まれます。
まとめの言葉として,引く勇気も重要なのです。
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2020.10.30
現在,国会では日本学術会議の任命拒否の件が問題となっています。
この問題は当初,日本学術会議から推薦を受けた会員について内閣総理大臣が任命拒否できるかが論点になっていました。そこで日本学術会議法7条2項を見てみると「会員は,第17条の規定による推薦に基づいて,内閣総理大臣が任命する。」と規定されています。そして同条項の解釈については法改正当時,中曽根元首相が明確に「政府が行うのは形式的任命にすぎない。」と答弁しています。そうすると議論をするまでもなく,内閣総理大臣には任命を拒否する権利はないことになります。
本件でも任命拒否は違法ということで,首相が任命しなおせば話が終わったと思われます。しかし首相は違法性を認めなかったため,任命拒否の理由を答えさせられることになってしまいました。ここで首相は引き際を誤った可能性があります。
任命拒否の理由について首相は当初,「総合的,俯瞰的」という曖昧模糊とした理由を述べていました。しかしその後首相は「名簿を全部は見ていない」と言い出しました。そうなると「総合的,俯瞰的」という言葉と矛盾が生じます。そもそも「総合的」とは「全体をまとめる」という意味合いであり,「俯瞰的」とは「高い視点から全体的,大局的に考える」という意味です。つまり「総合的,俯瞰的」に判断するためには全体を見渡さなければならないはずです。それにもかかわらず名簿の全体を見ていないということでは「総合的,俯瞰的」に判断できるはずがありません。このような矛盾が生じてしまったため,首相は任命拒否の「本当の理由」を探られる結果になりました。ここで首相は再び引き際を誤った可能性があります。
現在では任命拒否の理由について「大学のバランスが悪い,旧帝国大学が多い,若い研究者が少ない」などの理由を述べているようです。しかし105人のうち6人の任命を拒否したところで大学や年齢のバランスが取れるのでしょうか。また任命拒否された6名の教授の所属は東大2名,京大,東京慈恵会医科大,早大,立命館大とのことです。確かに旧帝大が3名含まれていますが,これでバランスを補正するほどの作用があるとは思えません。むしろ旧帝大以外と同数を任命拒否してしまうと効果が相殺されてしまいます。また若い研究者が少ないと言いますが,日本学術会議法10条が各項で会員の要件として「優れた研究又は業績がある会員」と規定していることの帰結であると言わざるを得ません。若い研究者を増やしたいのであれば要件の変更を検討するのが筋です。いずれにしろ首相はしゃべればしゃべるほど根拠法や自己の判断・答弁と矛盾が生じる状態に陥ってしまっているように見受けられます。
このようになってしまった原因は,初期の段階で無理筋と見極めることができず,その場しのぎの答弁を押し通してしまったことにあると思われます。
訴訟などでもあてはまりますが,先の見通しが不明である場合,また自己の不利が明確である場合,引く勇気,撤退する勇気も時には必要です。強弁することで,後になって自分の首を絞めることになることはありがちです。
似たようなことが大阪市でも起こっているようなので,項を改めて述べたいと思います。
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