弁護士ブログ

将来と未来

2022.01.08

 まだ到来していないが,これから到来するであろう時点のことを「将来」とか「未来」と表現します。意味の違いとしては,「将来」は比較的近い時期を指し,「未来」は遠い時期を指すようです。

 「将来は野球選手になりたい。」とは言いますが,この場合に「未来」とは言いません。このことから「将来」は「将に来たらんとする時点」という到来することに重点を置いたものであり,「未来」は「未だ到来していない時点」という到来していないことに重点を置いたものであるということであろうと推測されます。

 そのような意味で日本の将来という言葉があるとすれば,それはあまり期待ができない状態であると言わざるを得ません。バブル崩壊後,ほぼ定期的に大災害と金融危機の影響を受け,日本は低迷を脱することができていません。そして低迷に加えて少子高齢化が進み,財政も逼迫しています。この流れは私が大学在学中から言われていたことであり,財政改革,構造改革が叫ばれ続けましたが,どのように改革されたか,改革の成果があったか否かはエコノミストですら述べていません。経済上はミクロの存在である国民から見ると,働いても収入は増えず,収入が増えると税金が増え,補助金が減り,むしろ家計が逼迫するというジレンマを抱えている状態です。これに加えてコロナウイルスの感染拡大により収入は増えず,さらには食料品・加工品の一斉値上げが実施され,どうやっても生活が楽になることはないというのが実感ではないでしょうか。こうなってしまった個別の原因は,個人的には法人に甘く個人に厳しい税制と円安誘導を含む金融緩和政策の綻びにあると考えています。政府は国民に対してお金を使え,消費しろ,と言いながら,老後のために貯蓄,投資せよ,と矛盾したことを堂々と言っているので,経済に詳しくない者でも効果が出ないことは予想が付きます。

 国民としては将来の日本をどのように受け止めればよいのでしょうか。事実として冷静に見れば,日本は貧しい国になりつつあるということを,国民が自覚しなければならないのではないでしょうか。現在は一部の政治家や経済評論家らしき方が,国債の発行を際限なくできるかのような主張を始めています。酷い場合には,「日本が紙幣を刷れば返せる」といった趣旨の発言すら見かけることがあります。紙幣を発行するのは日本銀行ですが,いずれにしろ誤った主張であることは明らかです。こういった主張・認識の元に際限ない国債発行が続けられれば将来か,未来か,いずれかはわかりませんが,破綻が見えてきます。

 日本の将来を悲観的に受け止めたとして,国民はどうすればよいのでしょうか。前記のように厳しい税制等を嫌って海外に移住する富裕層は増加しています。しかし多くの国民は移住することができません。現状の中で得られるものを最大限に得て,失うものを最小限にするしかありません。労働者であれば残業代の請求や有給休暇の取得といった細かいことから始めることになるでしょう。そして職場環境の改善を労働者側が協力して推し進める必要もあるでしょう。こういった点については労働組合が媒介となって進められるはずですが,現在はあまり具体的な行動が見えてこないので,改善が必要な点になるかも知れません。他方でフリーランスという言葉が最近頻繁に使用されるようになっていますが,要するに個人事業主ということでしょうか。弁護士も含めた個人事業主は年金や退職金がなく,自分が倒れたら全てが終わってしまうため,体と心をケアしつつ,貯蓄に注力する他ありません。家庭に目を向けると,専業主婦という言葉は先進国のように消えてゆくものであると考えていましたが,旧体制のままジレンマに嵌まってしまった日本においては同じようにはならないかもしれません。あまりに厳しい労働環境・雇用環境が改善されない限り,共働きで夫婦(内縁,同姓も含む)ともども肉体的,精神的に疲弊するのでは家庭が回らないということで一方ができ得る限り働き,他方ができ得る限り家事をしつつ働くパートナーを肉体的・精神的にケアするという分業は合理的であると見直される可能性もあります。

 暗い話ばかりになってしまいましたが,日本の低迷がしばらくつづくことは間違いないので,甘い見通しで生活することはできません。お子様方には日本国内に拘ることなく,海外での生活も含めて,広い視野で生き方を考える必要が出てきたのかもしれません。

 私が子どもの頃に見据えていた「将来」はとっくに過ぎ去りました。とすると私が生きる現在は,子どもの頃の私にとっての「未来」ということになるのでしょう。確かに私が子どもの頃に想像していたものとは全く異なる日本と世界が目の前にあります。未来が予想できないことはわかっていました。日本がこのようになるとは予想していませんでした。しかし,予想できなかった未来である現在において,さらにその先の未来に多少の期待を持ってしまうことも事実です。それを希望というならば,人間は希望を持っていなければ生きられないのではなく,人間は生きていれば希望を持ってしまう生き物なのだと思います。

 希望を持って今年も頑張りましょう,と言いたいところですが,正確には,生きていれば希望はあるので今年も頑張りましょう,ということになりそうです。

投稿者:河野邦広法律事務所

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