弁護士ブログ

憲法9条と戦争

2022.03.18

 ロシアによるウクライナの侵攻があって以降,憲法9条に関する議論をすべきとの意見が見受けられます。それらの意見の大多数は,9条についての理解に基づいておらず,大国による侵攻を目の当たりにして焦った末の行動か,今回の事態をチャンスとみて自分の意見を通そうとしているもののように思われます。つまり9条改正が必要かについて,あまり深くは考えられていないように見受けられるということです。

 少し前まで,政府も9条改正を訴えていました。改正が必要な理由として政府は,「自衛隊の合憲性の問題に終止符を打つ」といったことを述べたと記憶しています。しかし自民党を基盤とする歴代政府の立場は,自衛隊を「合憲」とするものです。近時の政府も自民党を基盤としていることから,自衛隊を「合憲」とする立場かと思います。そして自衛隊が合憲である以上,9条の改正は必要ないはずです。

 それでも改正が必要な理由は何でしょう。この点について考え得る説明は「自衛隊関連法案の審議の度に自衛隊の合憲性が問題となり,法案審議が円滑に進まないから」といったものが考えられます。しかし,憲法は国家の基本法であり,9条はその中でも3大主義の一つを構成する根本的理念です。そのような重要な条文を法案審議の円滑化といった理由で改正することは説得力がないように思われます。

 おそらく政府与党による近時の立法及び将来の立法を考えると,従来の政府解釈でも自衛隊等についての正当化が苦しいことを政府自身が認識しているのだと思います。

 そもそも憲法は自衛隊のような組織を日本国が保有することを認めていないのでしょうか。

 9条の解釈について,いわゆる通説は,侵略戦争に限らず自衛戦争も放棄しており,戦力不保持の範囲も限定しないというものですから,通説に従えば自衛隊は違憲になりそうです。

 通説の他にも複数の説が存在するのですが,自衛隊については違憲とするものが大多数と思われます。

 このように述べると,「そんなはずはない」,「弁護士はおかしい」,「憲法学者はおかしい」といった声が飛んできます。しかし,理屈としてはそうなのです。

 とはいえ,戦争を放棄し,戦力を保持しないと規定する日本国憲法が自国の安全をどのようにして保障するつもりだったのか,という疑問が湧くのも当然だと思います。

 この問いに対し,憲法前文は以下のように答えます(宮澤俊義「全訂日本国憲法」参照)。

 「日本国民は,・・・・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

 つまり他国が戦争を起こさないと信頼することで自国の安全を保障するということです。

 さらにこの点については,清宮四郎先生の「憲法Ⅰ」において以下のように書かれています。

 「非常な決意のもとに,あらゆる戦争を放棄し,一切の戦力を保持しないことにした。その結果,自国の安全と生存を諸外国民の公正と信義にゆだねることになるが,それは覚悟のうえである,というのである。」

 つまり,日本は他国から侵攻される危険に晒されるけれども,それはわかった上で敢えて戦争や武力を放棄した,ということです。

 このような日本国憲法の決意,理念は,全ての国家が軍を保有していると言っても良い世界情勢においてはドラスティックといえます。理解に苦しむという意見があってもおかしくはありません。

 日本がこのように「非常な決意」をした背景には,第二次世界大戦,太平洋戦争における悲惨な経験を通じて,二度と戦争をしたくないと国民の誰もが考えたという歴史があります。

 前掲「憲法Ⅰ」にも以下のように書かれています。

 「この憲法で,極めて徹底した戦争の放棄・軍備の撤廃という,世界史上画期的なくわだてをあえてしたが,それは,単に国をあげての大戦争に敗れ,ポツダム宣言を受諾した結果,やむをえないものと認めたからではない。冷静に過去の行為を反省するとともに,国家・人類の将来進むべき道を考察してみた場合,そこに自ずから恒久平和の念願が湧きいで,また,人間相互の関係を支配する崇高な理想-友愛・協和-を深く自覚するに至ったからである。」

 「世界史上画期的」とあるように,日本国憲法は世界に類を見ない究極的な平和主義を標榜していると言っても過言ではありません。

 このような究極的な平和主義に対しては,軍隊を保有する国家に囲まれている現状においては現実的でないという意見があると思います。そのような意見を否定するつもりはありません。しかし,日本国憲法が悲壮ともいえる決意を表明するほどに戦争というものは醜悪,有害なものなのだということを感じ取るべきではないでしょうか。戦争を簡単に表現するならば,「見ず知らずの人間どうしの殺しあい」です。そして大義を語って戦争を慫慂する人々は,安全な位置から醜い殺しあいを眺めているだけなのです。

 もし9条を改正して日本が戦争をできる国にする場合,その改正が意味することは,自分が,自分の子どもが,自分の愛する人が,自分を愛してくれる人が戦争に行って醜い殺し合いをすること,ひいては殺されることを認めるということです。

 9条改正の議論は,自分が戦争に行くことはないとたかをくくっている人々に任せてはいけません。自分のこととして,自分の愛する人のこととして考えていただきたいと願います。

投稿者:河野邦広法律事務所

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