2019.08.29
7回に渡って「弁護士はなぜ悪い人を弁護するのか」についてお話しさせていただきました。
長い文章を読んでいただきありがとうございます。
「よくわかった」と言っていただける方と「やはり納得できない」という方の両方がいらっしゃるかと思います。ほとんどの方は逮捕・勾留,起訴などということは経験しないため,情状弁護の必要性について現実味をもって理解することが困難なのは重々承知です。
しかし戦後の平和な国民生活は,戦後政治や経済発展のみによるものではなく,戦前の国民による国家権力との闘争とそこから得られた教訓なくしては存在し得ません。過去の国民に感謝し,過去の犠牲に報いるためにも,過去に起こった国家権力による国民の悲劇を事実として真摯に受け止め,その悲劇を繰り返さないと誓った憲法の理念を心に刻むことが必要であると考えます。これは先人からの恩恵により平和な生活を享受する現代の国民の責務ではないかと思います。過去の悲劇を知り,これを忘れなければ,弁護人の必要性を少しは現実味をもって理解することができるかもしれません。
そして弁護士は憲法から託された尊い職務を全うするよう真摯に努力しなければならないと思います。
最後までおつきあいいただきありがとうございました。
(おわり)
投稿者:
2019.08.27
【弁護士の仕事③ 知識・情報の提供と外部との連絡役】
被疑者は逮捕された後に勾留されることが多いといえます。勾留されると外界との連絡を遮断されますし,ネット環境もありません。このような状態では裁判についての知識・情報その他,自分の知りたい情報を得ることはできません。また裁判についての情報が得られないだけでなく,家族や職場との連絡も困難になります。このようなときに弁護人が知識・情報を与え,家族や職場との連絡役になります。
また,公判は法定の手続にのっとって進められますが,初めての公判で知識のない一般の方が誤ることなく自己の主張をすることは極めて困難であると思います。さらにいえば,いわゆる「自己弁護」は信用されないことが多く,客観的な目を持った弁護人による主張があってこそ信用されることも多々あります。
以上のように日頃あまりクローズアップされない弁護活動が弁護士によって日々,行われていることをご理解いただければ,少しでも有罪の場合の弁護についても理解深まるのではないかと思います。
(つづく)
投稿者:
2019.08.19
【弁護士の仕事② 適正・公平な裁判の実現】
建前として裁判官が中立公正であることはもっともです。しかし,弁護人がつかない事件が増えていけば裁判官の気が緩み,検察官の言い分を不当に受け入れてしまうことにならないとも限りません。
繰り返しになりますが,憲法や刑事弁護制度は国家権力に対する強い不信感を前提としています。裁判所も司法権を担う国家権力であることを思い出してください。
弁護人がいない場合にまで裁判官に安易に信頼を置くことは憲法の発想からは危険といえます。
裁判の手続が適正・公平に行われているか,弁護人によってチェックされてこそ,真に適正・公平な裁判が実現するのです。
(つづく)
投稿者:
2019.08.13
では,弁護士はなぜ悪い人を弁護するのでしょうか。
もう理解されている方もいらっしゃるかと思いますが,弁護士は憲法に基づく職業であり,憲法により国家機関から国民を守る役割を与えられました。そして守るべき「国民」に有罪・無罪の区別はなく,刑事手続の当事者となった国民は全て弁護士によって国家権力から守られる権利があるのです。弁護士はその権利を実現する存在です。だから弁護士は「悪い人」も弁護します。
そのように憲法で決められても納得がいかないという方もいらっしゃるかと思います。そのような方にわかっていただくにはどうしたらよいでしょう。おそらく納得がいかない方には,あまり知られていない弁護士の仕事について説明をする必要があるかもしれません。
【弁護士の仕事① 逮捕・勾留や起訴を阻止する】普通に生活していると気がつきませんが,起訴するまでもない軽微な「犯罪」をしてしまっている方は結構います。大げさかも知れませんが,例えば,あなたが国家にとって不都合な発言・行動をし,または不都合な思想を持っているとみなされて,軽微な犯罪で逮捕,起訴されるということはあり得ます。戦前には実際にそのようなことが行われ,拷問が行われたのです。現在では戦前のような拷問はないとしても,逮捕・起訴されただけで社会的に大きな不利益を被ります。
弁護人は逮捕・勾留が不当ではないかをチェックして,不当であれば検察官に意見を述べ,準抗告を申し立てるなどして釈放させます。また起訴が不当と考えれば,検察官に意見を述べて嫌疑不十分による不起訴や起訴猶予といった処分にさせることも多いです。世間的には無罪判決はセンセーショナルに報じられますが,不起訴処分が大きく採り上げられることや,まして不起訴処分のために奔走した弁護士が讃えられることはほとんどありません。
弁護士は逮捕・勾留または起訴されないようにする仕事をしているのです。
(つづく)
投稿者:
2019.08.10
憲法は全部で103条までありますが,31条から40条の10条を使って刑事手続について規定しています。これは⑶刑事弁護制度の歴史で書いたように,戦前の刑事手続において裁判官まで一緒になって被告人を拷問するといった人権蹂躙が罷り通っていたことから,二度とこのようなことが起こらないように,憲法36条で「公務員による拷問」を「絶対に」禁止し,その他の規定でも人権を手厚く保障したといえます。
そして今後,刑事手続における人権侵害が起こらないように,国家権力から国民を守る役割を弁護人に担わせたといえます。
こうして刑事弁護の歴史を知った後に憲法の条文を読むと,なぜ憲法が公務員による拷問を「絶対に」禁止したのか,また国家機関ではない個人である「弁護人」を明文で規定したかが理解できるのではないでしょうか。
(つづく)
投稿者:
2019.08.07
弁護士制度の歴史で書いたように,弁護士の始まりである代言人は民事訴訟を前提としており,(刑事)弁護人という制度は存在しませんでした。明治時代,刑事手続における被告人は現在のような訴訟の当事者ではなく,証拠として扱われていました。拷問も法律で認められていました。今では考えられませんが,判事(裁判官)の決定で「訊杖(じんじょう)」(杖で背や尻を叩く。)や「算板(そろばん)」(ギザギザの板の上に正座をさせる。)といった拷問が行われていました。恐ろしいですね。「算板」は時代劇や漫画のワンシーンで,正座した太ももの上に石の板を乗せられるのを見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。今でいうところの裁判官がこれをやっていいと決めていたことを考えると,当時の国民がいかに人権を侵害されていたかがわかるのではないでしょうか。
日本で初めて私選弁護のようなことが行われたのは明治9年,外国人関係の刑事事件に限り,国民が前述の代言人に依頼することが認められたというものです。
刑事弁護人制度が初めて採用されたのは明治13年の治罪法(のちの旧刑事訴訟法)です。この時は公判手続後の被告人にのみ弁護人選任権が認められました。
被疑者に弁護人選任権が認められたのは終戦後の昭和23年,現行の刑事訴訟法の制定に伴ってのことでした。
現行の刑事訴訟法30条1項は「被告人又は被疑者は,何時でも弁護人を選任することができる」と規定しますが,これは憲法34条「何人も,理由を直ちに告げられ,且つ,直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ,抑留又は拘禁されない。又,何人も,正当な理由がなければ,拘禁されず,要求があれば,その理由は,直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。」に基づいています。
ここで刑事弁護人と憲法の関係がつながりました。
(つづく)
投稿者:
2019.08.01
江戸時代の訴訟(遠山の金さんを思い浮かべて下さい。)においては,今でいうところの弁護人はいませんでした。ただ,訴訟関係人を泊める旅館の経営者が「公事師」と呼ばれ,訴訟関係人を法廷に連れて行ったり,付き添ったりしていたそうです。
その後明治時代になって,訴状を作成する代書人と民事訴訟における弁論の代理をする代言人が定められました。この代言人が現在の弁護士の始まりです。日本の弁護士の始まりは民事弁護士ということになりますね。
明治26年になると弁護士法が制定され,「弁護士」という職業になりました。しかし弁護士会が検事正の監督を受け,懲戒は裁判所が行うなど,いわゆる弁護士自治が保障されていませんでした。
大正時代には東京弁護士会が分裂し,大正12年に第一東京弁護士会,大正15年に第二東京弁護士会が設立されたそうです。
(東京が)大混乱の大正時代を経て,昭和8年,弁護士法が全面改正されます。この改正で女性にも弁護士資格が認められ,弁護士試補(今でいう司法修習生)が採用されるなど,やっと現在の弁護士制度と近いものになりました。
その後,戦時中には弁護権の制限など弁護士が社会的に苦境に立たされる状態になりました。
そして終戦後の社会情勢の変化に合わせるため,昭和24年に現行の弁護士法が制定されました。
(つづく)
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