2019.08.07
弁護士制度の歴史で書いたように,弁護士の始まりである代言人は民事訴訟を前提としており,(刑事)弁護人という制度は存在しませんでした。明治時代,刑事手続における被告人は現在のような訴訟の当事者ではなく,証拠として扱われていました。拷問も法律で認められていました。今では考えられませんが,判事(裁判官)の決定で「訊杖(じんじょう)」(杖で背や尻を叩く。)や「算板(そろばん)」(ギザギザの板の上に正座をさせる。)といった拷問が行われていました。恐ろしいですね。「算板」は時代劇や漫画のワンシーンで,正座した太ももの上に石の板を乗せられるのを見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。今でいうところの裁判官がこれをやっていいと決めていたことを考えると,当時の国民がいかに人権を侵害されていたかがわかるのではないでしょうか。
日本で初めて私選弁護のようなことが行われたのは明治9年,外国人関係の刑事事件に限り,国民が前述の代言人に依頼することが認められたというものです。
刑事弁護人制度が初めて採用されたのは明治13年の治罪法(のちの旧刑事訴訟法)です。この時は公判手続後の被告人にのみ弁護人選任権が認められました。
被疑者に弁護人選任権が認められたのは終戦後の昭和23年,現行の刑事訴訟法の制定に伴ってのことでした。
現行の刑事訴訟法30条1項は「被告人又は被疑者は,何時でも弁護人を選任することができる」と規定しますが,これは憲法34条「何人も,理由を直ちに告げられ,且つ,直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ,抑留又は拘禁されない。又,何人も,正当な理由がなければ,拘禁されず,要求があれば,その理由は,直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。」に基づいています。
ここで刑事弁護人と憲法の関係がつながりました。
(つづく)
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