弁護士ブログ

世界に映る日本の姿

2021.07.23

 オリンピックの開会式の直前にディレクター等が次々に辞任,解任となる事件があったことは昨日の記事に書きました。この記事を書いている現在,まだ開会式前なのですが,報道によると小林氏が携わった開会式の演出はそのまま行われるようです。ネット上の一部記事では,小林氏が携わった開会式の演出を実行したら日本の国際的地位も危うくなるというものもありました。そのような指摘もある中で強行するのですから,組織委員,政府は責任を取るつもりで決断したのだろうと思います。

 個人的には,前記の経緯もある上,開会式のパフォーマンス自体,多くの人が密集するので緊急事態宣言との整合性の視点からも取りやめた方がいいのではないかと思っています。

 他方で日本国民としては,今回の組織委員会や政府の責任を追及することは当然として,別途,このようなことが起こってしまった原因を分析して世界標準の人権意識から後れを取っている現状を改善する方法を考える必要があります。

 今回,特に小山田氏と小林氏については20年前の言動について問題視されたことが共通しています。この点について「昔(のサブカルチャー界隈)は,今回問題視されるような言動を受け入れていた。」との意見もありますが,当事者らからすると冗談じゃない,といいたいところでしょう。ただその反面,今回問題視されるような言動が20年以上,ネットの一部で騒がれたことを超えて問題視されなかったことは日本の根本的な失敗であったのではないかと思います。特に小山田氏の言動については騒いでいる人がいるにもかかわらず真剣に議論されることがありませんでした。この点については関連団体の方が共同教育のあり方と合わせて問題提起をされているのを見かけたので,単なる個人攻撃ではない,問題提起・解決の参考になるかと思います。

 これに対して小林氏の件に関しては,ビデオとして編集せずに販売されたことを考えると,リハーサル,実演,ビデオ編集,販売のいずれの段階においても問題視されなかったことがうかがわれます。識者によれば日本の国際的地位を脅かすことになりかねない問題について誰ひとりとして問題視しなかった事実に我々は恐怖を感じなければならないのではないでしょうか。日本の人権意識はそれほどに低いレベルでとどまっているということです。

 今回の問題も,オリンピックという国際的行事がなかったらスルーされていたと思います。かように日本と世界の人権意識に差が生まれたのはなぜでしょうか。1つの原因として考えられるのは戦争観の違いであると思います。第二次世界大戦において日本(大日本帝国)はドイツ,イタリアと同盟関係にありました。そのため国際的には日本はナチスドイツと同盟関係にあった国家,というイメージをもたれているはずです。少なくとも学生の歴史の授業ではそのように教えるはずです。これに対して日本では第二次世界大戦についてあまり深く掘り下げて教育していないように思われます。そういった教育の差から生じる国家イメージのズレが日本国民の国際的な人権観とのギャップを生む可能性は否定できないのではないでしょうか。日本の教育はこの点を改善しなければならないでしょう。

 そして日本としては今一度,第二次世界大戦における自国の立場,行動と向き合う必要があると思います。これは決して欧米との関係だけではなく,アジアの国々に対する諸政策,行動,また当時の日本国民に対する扱いについても向き合わなければなりません。敗戦後,国家が存続していることを当たり前のように考えてしまっている現代の我々には,戦争当事者でなくとも戒めとしての反省が必要であると思います。

 もうすぐ原爆の日と終戦記念日になります。こういった事件があったことを機会として平和について,戦争について考えるべきだと痛感しました。

投稿者:河野邦広法律事務所

何か以前の問題

2021.07.22

 少し前の記事に,オリンピック開催によるコロナウイルスの感染拡大のおそれについて書きました。現状,東京都には緊急事態宣言が出されているにもかかわらず,感染者数が2000人に迫る勢いで増加しています。ここまでは前の記事で懸念していたことが現実化したといったところです。

 しかしながら近時の報道では感染者数よりも開会式の人事が熱い話題になっています。

 2021年7月15日に開会式の演出等を担当するクリエイターチームが発表されたのですが,その中の作曲担当者である小山田圭吾氏が,過去に雑誌の取材で自己が障害を持つクラスメートに虐待のようなことをしたことを自慢気に語っていたことが問題視されました。一度は組織委員会が「許してもらえる」と考えて続投を発表しましたが,世論の反発が強く,小山田氏が辞任することになりました。雑誌に掲載された同氏の行動は常軌を逸しており,被害者に対する謝罪等も長年なかったようなので,今回問題視されて辞任となった流れは当然といえば当然かもしれません。ただ不思議だったのは,同氏のそのような話はインターネットを検索すればヒットしてしまうくらいには知られた話であり,任命の際に少し調べて本人に確認すれば,少なくともこのようなことにはならなかったのではないかと思われる点です。そんなことも調べないで任命したのか,または知っていながら問題が無いと考えたのか,組織委員会が「許してもらえる」と考えたと発言していることから,後者の可能性もありそうです。いずれにしろ「何をやっているんだ。」と言われても仕方がない杜撰さであると思われます。

 また組織委員会は同氏の担当部分を開会式では使用しないと表明していますが,担当部分の尺は4分とのことであり,他の演出と整合させながら数日間で新たなものができるのか,甚だ疑問です。

 話はこれで終わらず,今度はディレクターを務める小林賢太郎氏が過去にホロコーストを揶揄するかのような台詞を入れていたということで問題になりました。こちらの方は問題になった翌日くらいに組織委員会が小林氏を解任しました。小山田氏のときには留任したにもかかわらず,小林氏については即座に解任となりました。この件については問題とされている台詞がコントの一部であることや,テレビ番組などではなくファンが見に来るようなライブにおいて演じられたようなので,組織委員会が見落としてしまうことはあり得たかもしれません。実際,私はこのことについて知りませんでした。ただ疑問が残るのは,組織委員会が当該台詞について本質的な問題点を説明できる程度に理解した上で解任したのか,という点です。小山田氏の際には「許される」と考え,小林氏については「許されない」と考えたのはなぜでしょう。

 小林氏については開会式の演出全体に関わっているため,小林氏が関与しているイメージを払拭するためには開会式の演出自体を取りやめるしかありません。

 開会式は明日です。

 開会式はどうなるのでしょうか。

 そして開会式を見た世界の人々はどのような反応を見せるのでしょうか。

 今回の一連の辞任,解任劇で明らかになったことは,森喜朗氏に始まり,佐々木宏氏,小山田氏,小林氏のような国家レベルの仕事を任される層の方々が世界標準の人権意識を持ち合わせていなかったということではないでしょうか。日本国内では権威で押し通せても海外では通用しないということだと思います。今回は国内からの問題提起で動き出しましたが,オリンピックが関係しなかったらスルーされていたのかもしれません。そういった意味では,国内において問題視すべき差別等をスルーせず,人権意識を培っていく必要があるのではないでしょうか。

投稿者:河野邦広法律事務所

ケーキの中身

2021.06.07

織り込み済み

  意味:計画や予算などに,ある事柄や条件などを検討のうえすでに取り入れてあること。

 報道によると,ある経済関係の方がテレビ番組において,分科会の座長がオリンピックを開催できる状態ではないと発言したことについて越権行為であると批判し,オリンピックを開催すべきであるという発言をした上で,開催すべきでないという世論が誤っている,という発言をしたとのことです。

 この報道を目にして気になったことがあります。

 まずは分科会がオリンピックの開催について発言することが越権行為なのか,ということです。そもそも分科会はコロナウィルスの感染を抑制し,終息させるために専門的な知見を集約して政府に対して意見を述べる機関(集団)であり,政府は分科会の意見に基づく各種情報を織り込んで政策を立案します。そしてコロナウィルスの感染状況がオリンピックを開催するか否か,開催する場合にその方法をどうするかに影響することも明らかであり,政府はそのような立場に立って,常に分科会とともに政策発表をしてきました。したがって分科会がオリンピックの開催または開催する場合の方法について意見を述べることは権限の範囲内であると思われます。よって,分科会の座長の発言には問題がないと考えられます。むしろ今回,政府が急に分科会と別の専門家を持ち出したことの方に問題があるのではないかと思います。その専門家とは誰で,どのような手続で任命等されて,いつから政府に意見を述べていたのでしょうか。

 次にオリンピックを開催するか否かの問題です。報道ベースでは,前述の発言者がオリンピックを開催すべきであると考える理由は,日本が世界に対してオリンピックを開催すると言った以上,日本国内の事情で開催しないわけにはいかない,ということらしいです。この発言はオリンピックを開催しない場合の理由を「日本国内の事情」に限っているため,国外の事情については織り込んでいないということになりますが,正しいのでしょうか。現時点においてワクチン接種によって感染の拡大が抑制傾向にある国は増加しているように見えるものの,ワクチンを確保できているのは開発した国や経済的に裕福な国に限られているようです。オリンピックの参加国は200か国くらいありますので,それらの国の少なくとも参加選手,同行スタッフの全員がワクチン接種を受けるなどして感染のおそれが極めて低い状態になっている必要があります。そもそもこの問題をクリアできるかが疑問です。またオリンピックの参加選手数は1万1000人以上が予定されており,IOC関係者が3000人,NOC関係者が1万4800人,その他スタッフ含めると全体で5万9000人の流入があるとされています。これらの人の行動を完全に把握して制限し,感染を防止することは至難の業でしょう。感染の防止に失敗した場合,日本国内で感染が広がることはもとより,感染者が母国に帰って感染源となるおそれもあるわけです。このようにオリンピックを開催することの危険因子やリスクは日本国内の事情に限らず,世界全体に渡るのです。したがってオリンピックを開催しない場合の理由を日本国内の事情に限る前記発言は前提を誤っていると言わざるを得ません。

 このような報道を前提とした上で疑問が湧くのは,政府(や都)がどの程度の危険因子を織り込んでオリンピックを開催しようとしているのか,ということです。

 前記の国内での感染拡大については大前提の問題点なので政府も当然織り込み済みであるとは思いますが,感染が拡大しても後で理由を付けてオリンピック開催との因果関係を否定するのが目に見えています。

 これに対して帰国した選手,スタッフやIOC,NOC関係者が感染源となって他国で感染が拡大することについては,しっかりと織り込んでいないのではないかという疑いがあります。そもそも政府は安心・安全を前提とした開催を宣言していますので,感染が拡大してしまった場合を想定した議論をしにくい立場にあることは理解できます。しかし前記のように開催国の責任という点を強調するのであれば,日本が起点となって感染拡大を引き起こすことはあってはならないでしょう。万が一,オリンピックが原因となって変異ウィルスが発生し,海外で感染が拡大した場合,「日本株」「東京株」「東京オリンピック株」などとレッテルを貼られる可能性もあるわけです。こういった危険はあまり考慮されていないように思われます。日本国内であれば権力への忖度が期待できますが,海外には期待できません。好き放題叩かれる可能性もあります。その時,政府はどのような対応をするのでしょうか。「東京オリンピック株など存在しない。反日勢力によるデマだ。」とか,「日本で変異したことの証明がない。」とか,日本国内では押し通せた論法も海外のメディアに対しては通じないと思います。このようなことが起こった場合にはオリンピックを中止した場合以上の不名誉になってしまいます。

 このようなことが起こらないことがベストであり,起こってしまってからでは遅いのですが,起こってしまった場合の対応についても考えていただきたいと思います。また,海外からの批判があった場合に国会答弁のような対応をして国際的に恥をかくことがないよう祈っています。

投稿者:河野邦広法律事務所

為政者たちの眼に国民は見えているのか

2021.06.04

 2021年6月1日から緊急事態宣言が再延長されました。

 今回の緊急事態宣言は2021年4月25日に始まり,同年5月12日に延長となり,今回の再延長となりました。再延長の期間は同年6月20日までとされています。結局,今回の緊急事態宣言も2か月に及ぶこととなり,小出しの宣言は裏目に出たように見受けられます。

 今回の緊急事態宣言が再延長されるにあたって,「こらえどころ」との言葉が報道されました。私はこの言葉を報道で最初に見たとき一瞬読めませんでした。「何だろう?」と不思議に思いました。そしてアナウンサーが読み上げるのをよく聞いて,やっと意味がわかりました。「耐えるべき時機」という意味だったのか,と理解しました。私の眼には「こらえどころ」という文字は見えていたのですが,ひらがなが並んでいるようにしか見えなかったわけです。

 このようなことが為政者と国民の間にも生じているのではないかと,ふと思うことがあります。つまり為政者の眼に見える国民は本当に私たちなのだろうか。私が「こらえどころ」をひらがなの羅列にしか見えなかったように,為政者の眼に見えている国民は,単なる人の集団,または人ですらない何かでしかないのではないかと思うことがあるのです。

 昨年以来,緊急事態宣言が出されるたびに政府や首長や医師会会長などの方々が「こらえどころ」と同じような言葉を述べていたと記憶しています。

 瀬戸際,正念場,我慢,ヤマ場,勝負,真剣勝負,こらえどころ・・・・・・。

 「もういい加減にしてくれ。」

 そのように思った方も少なくないと思います。為政者たちは感染の終息に向けて政策を打ってきたかもしれませんが,その時の為政者たちが見る目線の先には何があったのか。

 国民はそのことを敏感に感じ取り,遅まきながら政府の姿勢を批判する声が上がりつつあります。しかしその声が政府に届いているとはとても思えず,国民は疲れ切って無力感にいらだっているように見えます。そんな疲労困憊の国民に,さらに大きな試練が待ち受けています。現在の報道を見る限り,オリンピック開催は既定路線とされてしまっているようです。信じられないことにパブリックビューイングも予定されているとの報道もあります。オリンピック開幕の1か月前まで緊急事態宣言が延長されるというのに,開幕時にはパブリックビューイングで人が集まって良いというのは腑に落ちない方が普通だと思います。おそらく「席の間隔を空ける」「大きな声を出さない」といったルールを作るのでしょうが,それならば飲食店も席の間隔を空けて会話しなければ営業しても良かったのではないかと疑問が湧きます。また声を出さないパブリックビューイングに何の意味があるのかも疑問です。それならば家のテレビで見た方がよっぽど面白いと思います。

 パブリックビューイングを中止したとしても,問題がないわけではなく,日本人選手が活躍すれば渋谷あたりで人混みが騒ぐのは経験から充分予測できます。そういった危険因子を政府や都は全てつぶすことができるのか。できなければ分科会が指摘するように感染拡大は確実です。それでも危険を冒して通常状態に近いオリンピックを開催しようとする政府や都には国民の存在が見えていないのではないかとさえ思えます。政府や都にとって国民は統計的に抽象化された数値,または富岳のシミュレーションに登場する灰色のポリゴン像と同じようなものなのではないでしょうか。数値もポリゴン像もコロナウイルスに感染することもなければ,解雇や廃業もありませんから,為政者らの頭の中にコロナウイルスに感染して苦しみ死に至る国民や,解雇や廃業によって生活ができなくなり,場合によっては死を選ぶ国民がよぎることもないわけです。ここまで軽視されれば,オリンピック開催中,開催後に感染者数が増加した時,我慢強いとされる日本国民でも,さすがに堪忍袋の緒が切れるのではないかと思います。

 オリンピックの後には衆議院議員選挙が控えています。その時には,これまでの経緯を踏まえた政策評価をした上で厳しい態度で投票行動を採らなければならないと思います。

投稿者:河野邦広法律事務所

健全な議論

2021.05.12

 日本におけるコロナウイルスの感染はなかなか収まる気配を見せず,むしろ変異株による感染拡大が懸念されています。そのような状況の中でオリンピックを開催することができるのか,という疑問が抱かれつつあるように感じられます。

 私は東京オリンピックについて招致段階では反対でした。東日本大震災その他の災害によって復興の途中にある方々が多くいらっしゃる中で,復興のために充分な支出をせずオリンピックに支出をするのはおかしいのではないかと思っていました。

 その後,東京での開催が決まったため,オリンピックを開催することに対する疑問が一度は消えてしまいましたが,コロナウイルスの感染が拡大するのを見ていて,その疑問が再び頭をもたげてきました。開催に反対ということではないのですが,開催するのであれば国民に対する充分な説明が必要ではないかと思います。

 オリンピック開催については主にインターネット上で賛否の対立が激しくなっているように思いますが,いくつか気になることがあります。それはオリンピックの開催に反対する方々に対して「左翼」などのレッテルを貼る意見が見受けられることです。オリンピック開催の賛否に政治的な偏りはあまりないと思います。極端な話,与党の国会議員の全員が開催に賛成しているとも思えません。上記のレッテルは最近特に増加してきた不健全な議論の方法です。その方法は,自分にとって都合の悪い意見に対して「左翼」とか「日本人ではない」といったことを述べて政治的に中立な方々や日本人であることをアイデンティティにしている方々に悪印象を与え,距離を取らせようとするものです。そもそも議論において論点と関係の無い立場や感情を交えること自体が非論理的であり妥当ではないのですが,twitter等で議論をしている方々はそこまで厳密に考えておらず,思考する時間も短いため,無意識にそのような妥当でない思考をしてしまうようです。このような不健全な議論(議論とすら呼べないもの)が積み重なって現在の世論のようなものが形成されているのです。

 もうひとつ気になることは,ネット上の議論に参加する方が流動的であることを差し引いても,論調に一貫性がない,整合性がない,ということです。例えばコロナウイルスに関して言えば,医療従事者に感謝をしようという論調であり,これに反対する論調はあまり見受けられません。そして現在,医療従事者は医療崩壊の懸念からオリンピックを開催して欲しくないと言っています。医療従事者に感謝をするのであれば,オリンピックを開催しない方向に議論が進むはずです。しかし現在ネット上で目立つ(威勢が良い)論調は,オリンピックを開催する方向性です。酷い言い回しでは「この程度の感染状況でオリンピックを中止したら世界の笑いものになる。」といったものもあるようです。医療従事者に感謝をしようと考えた方が,このような意見を読んだ場合,酷い意見だと考えるのが普通だと思うのですが,いかがでしょうか。

 以下,オリンピックに限らず,私が疑問に感じ,または他の方々がどのように考えているか知りたいことを列挙します。

1  感染拡大防止を理由として外国人の入国を制限することとオリンピックを開催することの整合性は取れているか。

2  日本国内の感染者数が欧米に比して低いからといってオリンピックを開催しても大丈夫であるということになるのか。前記1との関連も含む。

3  東京オリンピックの開催を当然かのように述べている方々は,2022年の冬期オリンピック(北京)についても当然,開催すべきであり,日本も選手団を派遣するのが当然であると考えているのか。

4  東京オリンピックまで約2か月となり,開催の方向で政府が動いているにもかかわらず,オリンピックのスポンサーCMや関連CMが流れていないのはなぜか。

5  大阪の感染状況を見て,これでも財政効率化等のために病院等の合併を進めることが適切か。

6  飲食店の営業を禁止することで感染拡大防止の効果が得られるのか(飲食店で飲食をしない客はどのような行動を採ると想定しているのか)。

7  主な感染経路が通勤電車である可能性をなぜ検討すらしないのか。

8  スーパーコンピューター富岳による飛沫感染のシミュレーションはよく見かけるが,富岳による感染者数のシミュレーション結果はないのか。

 これらが健全な議論に資するかはわからないが,少なくとも考えてみていただきたい事項であると思います。

投稿者:河野邦広法律事務所

後を向いて

2021.05.07

 2021年5月7日,緊急事態宣言が延長されたと報道されました。

 思い返せば昨年の同時期,日本は緊急事態宣言の真っ只中でした。当時は必要最小限の買い物や仕事を除いて家にこもっていた方が多いように思います。当時(5月7日)の日本における1日あたりの感染者数(PCR検査陽性者数)は97名とのことです。昨年,1回目の緊急事態宣言が全国的に解除されたのが2020年5月25日で,この日の1日あたりの感染者数は20名とのことです。これは日本全体の数字です。

 正直なことを述べれば,当時の私は感染がこのまま終息に向かうものだと信じていました。

 昨年3月31日の記事でも述べたとおり,私は政府がオリンピックを開催するため,2020年9月までに何としても感染者数を0に近い数字に持って行く政策を打つと考えていました。そのために私権制限等が議論されるだろうとも思っていました。しかし実際には終息のために政策を引き締めるべき7月にGoToキャンペーンが開始され,その流れで年末年始には1日あたり7844人もの感染者数を出すことになってしまいました。その後の経過は皆さんもご存じのとおりです。

 一度は終息に向かったはずの感染が再び爆発してしまったのはなぜでしょう。前記のように2020年5月25日の時点における感染者数が真実であれば,その20人及び当時の感染者が感染源となって感染が拡大したということは考えにくいです。やはり1つはPCR検査を絞りすぎて感染の実態を把握していなかったということでしょう。このことは当時のブログにも書きました。この点については失政を覆い隠すかのように否定するデータが報道されていました。つまり日本は中国由来のコロナウイルスについては封じ込め,流行したのはヨーロッパの変異株であると。そうであるとすれば実質的には新種のウイルスが国外から流入したということですから,入国政策が誤っていたということです。しかし国民は入国に関して気をつけようがありません。つまり国民は国の失政により無用の自粛を強いられたということなのです。こういった政策評価は早期に行われるべきであると思います。もちろん,失政ではないという意見やそれを裏付けるデータが出るでしょう。むしろ失政でない客観的根拠があるなら検討資料として開示すべきなのです。ないなら失政です。政策評価やそれに基づく議論もせず,データも出さずに「失敗していない」,「前を向こう」と言い続けているのが現在の政権と一部の首長です。

 私はコロナウイルスに関する現政権と一部の首長のやり方を見ていて疲れ切ってしまいました。そして政策に関してはもう「前を向こう。」などとは言わないことにしました。これからは「振り返ろう。そして正しく評価しよう。」と言い続けたいと思います。

投稿者:河野邦広法律事務所

2020年を振り返って

2020.12.30

 年末を迎え,多くの人が今年を振り返っていることと思います。そしてほとんどの人にとって2020年はコロナウイルスとの闘いの年であったのではないかと思います。私にとっても2020年は,とにかくコロナウイルスに感染しないように息を潜めて生活する年でした。また振り返りがてら今年アップした記事を読み返すと,その時に書いた懸念が後々になって現実のものとなっているものも多かったように思います。

 記事を読み返しながら思い出したのですが,2019年の年末に「2019年を振り返って」という記事をアップしようと考えていましたが取りやめた経緯があります。当時,記事を書いた後,ふいに嫌な予感がして,アップを取りやめたことを記憶しています。その嫌な予感は,記事に書いたことが当たっても外れても嫌な気持ちになるのではないか,というものでした。実際にアップしなかった記事の原稿を読み返してみましょう。

 同記事は2019年を振り返って,「流行した歌がなかった」,「流行した芸人さんがいなかった」と書いてあります。歌に関しては2019年に既に話題になっていた「紅蓮華」が2020年になってヒットしたようです。芸人さんに関しては,いわゆる「第七世代」という言葉をよく聞くようになりました。しかし「第七世代」という言葉は2019年の年初には既に存在した言葉らしいので,「第七世代」の台頭は2019年だったようです。私が流行した芸人さんがいなかったと書いたのは,おそらく流行語にノミネートされるような目立った活躍をする方がいなかったという意味だったのだろうと思います。最近はテレビ番組を見る機会が減ってしまったため,流行歌や活躍している芸人さんを知らなかったり,後から知ったりしていることがわかります。

 そして同記事は上記のような状況を分析して,「価値観の多様化」という言葉すら聞かなくなった現代においては,「価値観の多様化」の進行により,「価値観の多様化」という言葉すら必要なくなったのかもしれないと分析しています。さらに「価値観の多様化」の結果,流行を喪失した,と書いています。この分析は当たっているのでしょうか。

 また同記事は末尾で2020年は「オリンピックが開催されるのでマスコミなどが決め打ちに入っていて面白くない」,「オリンピック以外で驚くような流行があればいいなと思います。」と締めています。今となってはマスコミの決め打ちが何だったのか分かりませんが,そのような傾向があったようです。そして私が引っかかったのは「オリンピック以外で驚くような流行」という部分でした。当時はまだコロナウイルスについては注目されていない段階で,私も日本で感染拡大するとは全く考えていませんでした。私が感じた嫌な予感はこれだったのかわかりませんが,嫌な予感ほど良く当たるもので,結果的にオリンピックは開催されず,良くないものが驚くほど流行してしまいました。

 来年のことを言えば鬼が笑う,という言葉があります。意味としては,どうなるかわからない将来のことを言っても仕方がないということらしいのですが,私にとっては,来年のことを言うと良くないことが起こるという意味に解釈してしまいます。鬼が笑うのは災厄を起こす者が得意になっているように感じられます。奇しくも2020年は「鬼」にまつわるメディアが空前のブームとなりました。鬼は災厄の象徴とされます。コロナウイルスに苦しむ社会は災厄の象徴である鬼を退治する話に救いを求めたのかも知れません。

 締めとして「2021年は・・・・・・という年になるといいですね。」と書きたいところですが,鬼が笑うので書かないことにします。

投稿者:河野邦広法律事務所

続・無駄な時間?

2020.11.27

 「桜を見る会」の前日に行われた夕食会の費用について検察庁が元首相の周辺人物から事情を聴取しているとの報道がありました。

 私はこの点について2019年12月11日付けのブログで触れています。当時,この点について追及する野党に対して「他に議論しなければならない法案がある」「無駄な時間を費やすな」と言いたい方々,また実際に言っていた方々に対して,その時解消しなければ長期的にはさらに「無駄な時間」を費やすことになる可能性を指摘しました。

 あの時,疑惑について解消していれば今頃再びこの話をする必要は無かったわけです。そして今はコロナウイルスの感染爆発の瀬戸際という重要な時期になってしまいました。

 「言わんこっちゃない。」「それ見たことか。」と言いたいところですが,それよりも今後さらに「大事な時期」が訪れるかもしれませんので,その時に本件を問題にしないで済むように,本件について徹底的に解明しておくべきなのではないでしょうか。

 この期に及んで野党やマスコミに対して「今,この問題を採り上げるべき時期なのか?」などと述べているコメンテーターが散見されます。この方々に言いたいのは,「では,いつ採り上げるべきか?」ということです。答えは明白です。2019年に本件が明らかになった時だったのです。「この問題を採り上げるのは今なのか?」と今,述べている方は,きっと2019年12月にも同じことを述べていたと思います。そして,いつまでも本件が採り上げられずに放置され,忘れ去られるという,疑惑の対象の方々にとって都合の良い結果を招くのです。このようなコメンテーターは悪意で発言しているとまでは思いませんが,悪意でないとしたら,そろそろ気付いていただかなければならないと思います。

 本件について採り上げている報道の中で目立つコメントは「首相は忙しいから収支までチェックできない。」というものです。このコメントはつまり秘書がやったことについて首相は知らないから責任がない,と言いたいのでしょう。この点については当時の首相動静などからチェックする時間も無いほどの状態であったかはわかると思います。なお,この論法によってしまうとチェックをしていない者ほど罪を免れる構造になってしまいますが,それが望まれる結論なのでしょうか。それとも基準を恣意的に適用して,守りたい人だけ守るという,いつものパターンなのでしょうか。

 本件についてもう一つ問題となるのは,「桜を見る会」に招かれた人物の属性についてです。2019年12月頃の報道では,むしろこの点に着目していたマスコミが多かったように記憶しています。疑惑の対象者は,本件についてお金の出入りだけ処理して「全て説明した。」と述べて終わりにしようとしています。マスコミはこの点も忘れずに報道する必要があるように思われます。

投稿者:河野邦広法律事務所

引き際の大切さ2

2020.10.30

 引き際を誤ると自分の首を絞めることになる場合があることについて日本学術会議の任命拒否問題を例にして述べましたが,これと似たようなことが大阪市で起こっています。

 問題となっているのは,大阪都構想の住民投票に関して,大阪市を4つに分割した場合のコストとして218億円を要する可能性がある,という報道に対して,大阪市長をはじめとする都構想推進派と思われる方々が「誤報」であるとしている問題です。この問題は推進派とマスコミの間にとどまらず,大阪市財政局の職員の処分にまで及んでいるようです。

 

 この問題には複数の論点がありますが,そもそもの問題として上記報道は「誤報」なのでしょうか。

 「誤報」の定義は複数ありますが,少なくとも権限のある機関が出した情報をそのまま報道することが「誤報」に当たらないことは明らかでしょう。例えば内閣府がリリースした統計数値をそのままマスコミが報道し,後日計算方法が誤っていたということが過去にありましたが,これは「誤報」ではありません。今回の大阪市の報道についてもマスコミは大阪市財政局が出した数値を報道したのですから,「誤報」には当たらないはずです。

 誤っているとしたら大阪市ということになりますので,責任は大阪市ないしその首長にあるということになります。

 上記報道が誤報ではないとして,推進派は218億円という数値が「捏造」された数値であるとも述べています。

 「捏造」とは簡単に言えば「でっちあげ」ということです。今回の大阪市財政局の試算は「でっちあげ」なのでしょうか。報道によると「捏造」と主張する方は理由として考慮要素が足りないといったことを述べているようです。しかし,考慮要素の過不足をもって「捏造」になるのであれば,政府やシンクタンクが出している予測数値も全て「捏造」になってしまうでしょう。またこれを今回の住民投票に当てはめれば,都構想推進派が試算した大阪市廃止によるコスト減等の予測数値,試算も反対派から見れば考慮要素に過不足がありますから,全て「捏造」です。つまり,都構想推進派の主張を突き詰めれば都構想推進派の主張も根拠がなく「捏造」であり,これを報道(広報を含む)することは「誤報」になるということです。都構想推進派はこの点を見落としたか,敢えて無視をして強弁しているように見えます。その意味で都構想推進派は既に引き際を誤っていたように思われます。

 さらに言えば,都構想推進派は大阪市を4区に分割した場合に,どの程度のコストを要すると考えているのでしょうか。この数値を都構想推進派は明確には出そうとせず,正確な計算,数値を聞かれるとはぐらかすような態度に出ていることがわかってしまいました。都構想推進派は上記「誤報」「捏造」の主張を引かなかった結果,自分達が聞かれたくない点について説明を求められる立場になってしまったということです。都構想推進派が自己に有利な数値を持っていれば当初から出ていたはずで,いつまでたっても示されないことで住民に「もっとコストがかかるのでは?」「他にも隠し事があるのでは?」という疑念を抱かせてしまったかも知れません。結果的に都構想の説得力を一気に下げてしまった可能性もあります。この点においても都構想推進派は引き際を誤ったといえます。

 このように見てみると,都構想推進派は住民投票が近いこともあり,問題となった当初から「引くに引けない」状態であったのかもしれません。住民投票で賛成多数になれば自分達が言ったことも忘れてもらえる,正当化されると考えてその場しのぎの恐怖政治を行っているようにも見えます。特に大阪市長が責任を持つはずの大阪市財政局の試算の正当性を自ら否定し,処分を下すことは首長自身の責任をも認める意味を内包する行政行為であり説明に窮するものです。この構造は,いわゆる森友問題などで官僚の方々に起こった不幸な事件を彷彿とさせます。

 よく考えるべきなのは,都構想推進派が引くに引けないとしても,住民投票で賛成多数となった場合,上記の問題が現実の問題として大阪市と大阪府に突きつけられることになるということです。その時にはきっと,言い訳と帳尻あわせのための「捏造」が繰り返されることが目に見えています。かかったコストがなかったことにされ,必要のない予算が計上されるのです。ここ数年,日本国民は「隠蔽」,「捏造」や「論点ずらし」ばかりを見せられ続けて疲れ果てています。これ以上醜く卑怯な政治につきあわされないためにも,先々のことを考えた投票行動が望まれます。

 まとめの言葉として,引く勇気も重要なのです。

投稿者:河野邦広法律事務所

引き際の大切さ1

2020.10.30

 現在,国会では日本学術会議の任命拒否の件が問題となっています。

 この問題は当初,日本学術会議から推薦を受けた会員について内閣総理大臣が任命拒否できるかが論点になっていました。そこで日本学術会議法7条2項を見てみると「会員は,第17条の規定による推薦に基づいて,内閣総理大臣が任命する。」と規定されています。そして同条項の解釈については法改正当時,中曽根元首相が明確に「政府が行うのは形式的任命にすぎない。」と答弁しています。そうすると議論をするまでもなく,内閣総理大臣には任命を拒否する権利はないことになります。

 本件でも任命拒否は違法ということで,首相が任命しなおせば話が終わったと思われます。しかし首相は違法性を認めなかったため,任命拒否の理由を答えさせられることになってしまいました。ここで首相は引き際を誤った可能性があります。

 任命拒否の理由について首相は当初,「総合的,俯瞰的」という曖昧模糊とした理由を述べていました。しかしその後首相は「名簿を全部は見ていない」と言い出しました。そうなると「総合的,俯瞰的」という言葉と矛盾が生じます。そもそも「総合的」とは「全体をまとめる」という意味合いであり,「俯瞰的」とは「高い視点から全体的,大局的に考える」という意味です。つまり「総合的,俯瞰的」に判断するためには全体を見渡さなければならないはずです。それにもかかわらず名簿の全体を見ていないということでは「総合的,俯瞰的」に判断できるはずがありません。このような矛盾が生じてしまったため,首相は任命拒否の「本当の理由」を探られる結果になりました。ここで首相は再び引き際を誤った可能性があります。

 現在では任命拒否の理由について「大学のバランスが悪い,旧帝国大学が多い,若い研究者が少ない」などの理由を述べているようです。しかし105人のうち6人の任命を拒否したところで大学や年齢のバランスが取れるのでしょうか。また任命拒否された6名の教授の所属は東大2名,京大,東京慈恵会医科大,早大,立命館大とのことです。確かに旧帝大が3名含まれていますが,これでバランスを補正するほどの作用があるとは思えません。むしろ旧帝大以外と同数を任命拒否してしまうと効果が相殺されてしまいます。また若い研究者が少ないと言いますが,日本学術会議法10条が各項で会員の要件として「優れた研究又は業績がある会員」と規定していることの帰結であると言わざるを得ません。若い研究者を増やしたいのであれば要件の変更を検討するのが筋です。いずれにしろ首相はしゃべればしゃべるほど根拠法や自己の判断・答弁と矛盾が生じる状態に陥ってしまっているように見受けられます。

 このようになってしまった原因は,初期の段階で無理筋と見極めることができず,その場しのぎの答弁を押し通してしまったことにあると思われます。

 訴訟などでもあてはまりますが,先の見通しが不明である場合,また自己の不利が明確である場合,引く勇気,撤退する勇気も時には必要です。強弁することで,後になって自分の首を絞めることになることはありがちです。

 似たようなことが大阪市でも起こっているようなので,項を改めて述べたいと思います。

投稿者:河野邦広法律事務所

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