2021.07.30
令和3年7月29日,東京都の1日あたりのコロナウィルス感染者数は3865人と報じられました。日本全国の感染者数は1万人を突破しました。同月30日の東京都の感染者数は3300人と少し減少しましたが,前の週の金曜日と比較すると約2.5倍になります。前の週の金曜日が連休中で検査数が少ないことを差し引いても急激な増加と評価できます。
このような急激な増加について政府や一部のコメンテーター等は,感染者の急増とオリンピックとは関係ないと言い切っています(このような論者を「因果関係否定論者」と呼ぶことにします。)。しかしながら言い切ることは誤りであると思われます。そもそもオリンピック開会前から東京都には緊急事態宣言が出されており,現行法下において最も強い規制下に置かれていると言えます。その上でオリンピック開会前から今週にかけて感染を急増させるような出来事はありません。そのような状況から考えるとオリンピックの開幕が感染の増加に全く影響していないと主張することは難しいでしょう。そもそもオリンピック開会直前にブルーインパルスが東京上空を飛んでいましたが,それを見るために多くの人々が道路上に集まっているのを報道で見た方は多いのではないでしょうか。私も報道で映像を見て,即座に感染者が増加することを懸念しました。
またオリンピックを開催したことで,政府が国民に対して誤ったメッセージを送ってしまったことも見過ごせないでしょう。つまり政府がオリンピックの開催を決定したことが,国民に感染状況を軽く評価させる根拠として認識されてしまったということです。この点について因果関係否定論者は,オリンピックの開催と国民の意識は関係ないとか,酷い場合にはそのように受け止める国民が馬鹿だ,などと主張します。しかし考えていただきたいのは,緊急事態宣言との関係です。日本が感染対策の主力として繰り返している緊急事態宣言には強制力がありません。つまり緊急事態宣言は政府が危機的状況を国民に対してアナウンスすることで国民の認識を通じて行動変容等を促す政策です。このようなアナウンスに国民の行動変容等を促す効果があると考えるのであれば,同じく「オリンピックを安全安心に開催します。」とアナウンスすることで国民が感染状況について軽く評価する効果を生じると考えなければ矛盾しています。因果関係否定論者はこの論点から逃げているように感じられます。一部でオリンピックと感染増加は切り離して考えなければならない,と述べているコメントを拝見しましたが,論点から逃げていることが明らかです。この論点を別の角度から表現すれば,よく見かける「アクセルとブレーキを同時に踏む」ということになるでしょう。アクセルがオリンピック開催で,ブレーキが緊急事態宣言になります。因果関係否定論者は全国民に対して,アクセルとブレーキを同時に踏んでいる政府の政策を「賢く解釈して,うまく立ち回れ」という無理難題を押しつけているように見えます。特にこのような無理難題は若者にとっては耐えがたいものであることは想像に難くありません。私のような年を取った者にとっての1年と,若者,特に学生の1年の価値は,比べものになりません。若者からすれば,感染しても大したリスクがないにもかかわらず貴重な日々を捨てろと言われることは不合理でしかありません。ましてオリンピックを大々的に開催しておいて,国民の行事は禁止です,と言われては緊急事態宣言の感銘力など無に帰すでしょう。
昨今の感染者急増はもともと感銘力を失った緊急事態宣言に加えてオリンピックを開催するという矛盾した決断がされたことにより国民の認識を通じた行動変容を起こせず,むしろリバウンドを起こしたことにより生じたものであると考えるのが合理的です。
それにもかかわらずメディアはオリンピックの礼賛と,開催を反対していた人に対するバッシングにあふれています。特に後者は幼稚すぎる行動であり,日本もここまで来たか,といった衝撃を受けました。私はマスコミがオリンピック中止を主張していたとしても,オリンピックの中継をすべきであると思いますし,アスリートの活躍を報道すべきであると考えます。またオリンピック中止を主張していた方々がオリンピックを見ることも全く問題がないと考えます。この点についてはインターネットの記事などで識者が論説などを載せているので,そちらをご覧いただいた方が良いかと思います。
コロナウィルス感染者急増の報道に接しつつ,オリンピックの報道で日本人選手が活躍する報道を見て,インターネットにおいて敗退した日本人選手やオリンピック中止派への誹謗中傷を読んでいると,日本が太平洋戦争において敗戦する直前もこのような感じだったのだろう,とふと思ってしまいました。先人の努力により日本は長らく戦争を経験することがありませんでしたが,戦争とは異なる形で平和を失い,敗北を経験するかもしれません。
投稿者:
2021.07.23
オリンピックの開会式の直前にディレクター等が次々に辞任,解任となる事件があったことは昨日の記事に書きました。この記事を書いている現在,まだ開会式前なのですが,報道によると小林氏が携わった開会式の演出はそのまま行われるようです。ネット上の一部記事では,小林氏が携わった開会式の演出を実行したら日本の国際的地位も危うくなるというものもありました。そのような指摘もある中で強行するのですから,組織委員,政府は責任を取るつもりで決断したのだろうと思います。
個人的には,前記の経緯もある上,開会式のパフォーマンス自体,多くの人が密集するので緊急事態宣言との整合性の視点からも取りやめた方がいいのではないかと思っています。
他方で日本国民としては,今回の組織委員会や政府の責任を追及することは当然として,別途,このようなことが起こってしまった原因を分析して世界標準の人権意識から後れを取っている現状を改善する方法を考える必要があります。
今回,特に小山田氏と小林氏については20年前の言動について問題視されたことが共通しています。この点について「昔(のサブカルチャー界隈)は,今回問題視されるような言動を受け入れていた。」との意見もありますが,当事者らからすると冗談じゃない,といいたいところでしょう。ただその反面,今回問題視されるような言動が20年以上,ネットの一部で騒がれたことを超えて問題視されなかったことは日本の根本的な失敗であったのではないかと思います。特に小山田氏の言動については騒いでいる人がいるにもかかわらず真剣に議論されることがありませんでした。この点については関連団体の方が共同教育のあり方と合わせて問題提起をされているのを見かけたので,単なる個人攻撃ではない,問題提起・解決の参考になるかと思います。
これに対して小林氏の件に関しては,ビデオとして編集せずに販売されたことを考えると,リハーサル,実演,ビデオ編集,販売のいずれの段階においても問題視されなかったことがうかがわれます。識者によれば日本の国際的地位を脅かすことになりかねない問題について誰ひとりとして問題視しなかった事実に我々は恐怖を感じなければならないのではないでしょうか。日本の人権意識はそれほどに低いレベルでとどまっているということです。
今回の問題も,オリンピックという国際的行事がなかったらスルーされていたと思います。かように日本と世界の人権意識に差が生まれたのはなぜでしょうか。1つの原因として考えられるのは戦争観の違いであると思います。第二次世界大戦において日本(大日本帝国)はドイツ,イタリアと同盟関係にありました。そのため国際的には日本はナチスドイツと同盟関係にあった国家,というイメージをもたれているはずです。少なくとも学生の歴史の授業ではそのように教えるはずです。これに対して日本では第二次世界大戦についてあまり深く掘り下げて教育していないように思われます。そういった教育の差から生じる国家イメージのズレが日本国民の国際的な人権観とのギャップを生む可能性は否定できないのではないでしょうか。日本の教育はこの点を改善しなければならないでしょう。
そして日本としては今一度,第二次世界大戦における自国の立場,行動と向き合う必要があると思います。これは決して欧米との関係だけではなく,アジアの国々に対する諸政策,行動,また当時の日本国民に対する扱いについても向き合わなければなりません。敗戦後,国家が存続していることを当たり前のように考えてしまっている現代の我々には,戦争当事者でなくとも戒めとしての反省が必要であると思います。
もうすぐ原爆の日と終戦記念日になります。こういった事件があったことを機会として平和について,戦争について考えるべきだと痛感しました。
投稿者:
2021.07.22
少し前の記事に,オリンピック開催によるコロナウイルスの感染拡大のおそれについて書きました。現状,東京都には緊急事態宣言が出されているにもかかわらず,感染者数が2000人に迫る勢いで増加しています。ここまでは前の記事で懸念していたことが現実化したといったところです。
しかしながら近時の報道では感染者数よりも開会式の人事が熱い話題になっています。
2021年7月15日に開会式の演出等を担当するクリエイターチームが発表されたのですが,その中の作曲担当者である小山田圭吾氏が,過去に雑誌の取材で自己が障害を持つクラスメートに虐待のようなことをしたことを自慢気に語っていたことが問題視されました。一度は組織委員会が「許してもらえる」と考えて続投を発表しましたが,世論の反発が強く,小山田氏が辞任することになりました。雑誌に掲載された同氏の行動は常軌を逸しており,被害者に対する謝罪等も長年なかったようなので,今回問題視されて辞任となった流れは当然といえば当然かもしれません。ただ不思議だったのは,同氏のそのような話はインターネットを検索すればヒットしてしまうくらいには知られた話であり,任命の際に少し調べて本人に確認すれば,少なくともこのようなことにはならなかったのではないかと思われる点です。そんなことも調べないで任命したのか,または知っていながら問題が無いと考えたのか,組織委員会が「許してもらえる」と考えたと発言していることから,後者の可能性もありそうです。いずれにしろ「何をやっているんだ。」と言われても仕方がない杜撰さであると思われます。
また組織委員会は同氏の担当部分を開会式では使用しないと表明していますが,担当部分の尺は4分とのことであり,他の演出と整合させながら数日間で新たなものができるのか,甚だ疑問です。
話はこれで終わらず,今度はディレクターを務める小林賢太郎氏が過去にホロコーストを揶揄するかのような台詞を入れていたということで問題になりました。こちらの方は問題になった翌日くらいに組織委員会が小林氏を解任しました。小山田氏のときには留任したにもかかわらず,小林氏については即座に解任となりました。この件については問題とされている台詞がコントの一部であることや,テレビ番組などではなくファンが見に来るようなライブにおいて演じられたようなので,組織委員会が見落としてしまうことはあり得たかもしれません。実際,私はこのことについて知りませんでした。ただ疑問が残るのは,組織委員会が当該台詞について本質的な問題点を説明できる程度に理解した上で解任したのか,という点です。小山田氏の際には「許される」と考え,小林氏については「許されない」と考えたのはなぜでしょう。
小林氏については開会式の演出全体に関わっているため,小林氏が関与しているイメージを払拭するためには開会式の演出自体を取りやめるしかありません。
開会式は明日です。
開会式はどうなるのでしょうか。
そして開会式を見た世界の人々はどのような反応を見せるのでしょうか。
今回の一連の辞任,解任劇で明らかになったことは,森喜朗氏に始まり,佐々木宏氏,小山田氏,小林氏のような国家レベルの仕事を任される層の方々が世界標準の人権意識を持ち合わせていなかったということではないでしょうか。日本国内では権威で押し通せても海外では通用しないということだと思います。今回は国内からの問題提起で動き出しましたが,オリンピックが関係しなかったらスルーされていたのかもしれません。そういった意味では,国内において問題視すべき差別等をスルーせず,人権意識を培っていく必要があるのではないでしょうか。
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