弁護士ブログ

子どもが教育を受ける権利(1)

2019.05.21

 昨年から大学受験や進学等にまつわる話題が立て続けに取り上げられていますが,ここで子どもの教育について大学受験を例にして書きたいと思います。

 やや長文となるため複数回に分けて掲載します。

1.近時の議論の方向性とそれに対する不安感

 先日の医学部不正入試問題や東京大学入学式の祝辞などで女子の進学については議論が活発に行われるようになりました。このような制度的,構造的不公平が是正される方向で議論されることは好ましいことです。しかし他方で制度的,構造的不公平を是正するために極端な意見が飛び交い,進学における入試の点数や偏差値といった指標を絶対視するかのような意見が目立つことに不安を覚えます。

2.偏差値を指標とすることの是非?

 私が高校時代には,むしろ試験の点数や偏差値を基準とする進路選択については「輪切り教育」などといって強い批判に晒されていました。高校1年生の時,倫理の授業でディベートが行われ,「偏差値を基準とする輪切り教育の是非」という議題が設定されたのですが,今思えば,当時の風潮からいって,この議題で「是」の側に立つ者などいるはずありませんでした。しかし私はただ一人,「是」の方に立って数十人のクラスメートから集中攻撃を受けてしまいました。

 私が「是」の方に立ったことには理由があります。

 偏差値を指標とする教育の良いところは「客観的公平性」です。同一の母集団内における競争である限り,偏差値(入試の得点)を基準として順位,合否を決定することは恣意の介入の余地がないため,客観的公平性が保たれます。

 高校当時の私にとって,試験において客観的公平性が保たれることは生命線ともいえるものでした。というのも私の実家は常に家計が苦しく,本来であれば大学に進学することも許されないような状態でした。しかし親族や兄の協力を得て私は進学をすることができました。もし大学入試に主観が入り込む余地があったり,財力によるスクリーニングがあったら私は絶対に大学に進学できませんでした。ですから,そんな私にとって,当日のペーパーテストのみによる一発勝負は公平かつ究極の自己責任による勝負であり,大変ありがたい制度だったのです。

 こういったことを高校入学当時から意識していたため,客観的公平性が保たれる偏差値教育に対して,私は好意的でした。こういった考え方は私の事情を知らない一般的な方々からすれば「学力至上主義」「勉強ばかりしている」という評価になるのだろうと思います。しかし実際には私は勉強ばかりしていたわけではなく,スポーツもしましたし,部活にも力を入れていました。またテレビも視聴しましたし,漫画を読んだり,ゲームに熱中した時期もありました。ですので,事情を知らない一般人の意見などというものは的外れでありあまり意味がないと思われます。

 したがいまして私の意見としては,偏差値を指標とすることは試験の客観的公平性を確保する意味で有用であり,これにより学力至上主義に陥るとは思いません。

 では,なぜ今になって偏差値を指標とすることを肯定する意見に不安を感じるかということになります。

(つづく)

投稿者:河野邦広法律事務所

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