弁護士ブログ

平成31年度東京大学入学式の祝辞について

2019.04.13

 報道では平成31年度東京大学入学式で述べられた祝辞が話題になっているようです。

 

 ここで先に補足しておきます。

 

 毎年マスコミが報道するのは祝辞ではなく、「総長式辞」です。今回は総長式辞だけでなく、祝辞の方も注目を集めたということです。

 

 個人的な感想としては、冷や水を浴びせられたような形になった新入生(特に男子学生)は可哀想だな、ということです。東京大学は現役合格者が多いため(我が浦高は極端な例外です。)、入学式の段階では未成年で、思慮分別も未熟な彼らに、いきなり社会の構造的不公平、つまり自分ではどうにもすることができない不当な差別等の存在を絶対的なものとして突きつけるのは酷ではないでしょうか。また読むとわかりますが、私が男子学生の保護者であったら祝辞の前半で気分が悪くなったかも知れません。これでは従来女子学生やその保護者が受けた精神的苦痛を男子学生やその保護者が受けるだけにならないかと不安になりました。もちろん、発話者にとっては深遠な意味が含まれているとは思いますが、だからこそこの祝辞は全体を正確に読み取らなければミスリードに陥る可能性があると思います。

 また、今回の祝辞で発話者が真に述べたかったこと(真意)を読み取れるか、読み取れないかという基準は、日本語の読み取り能力の指標になるとも考えました。もちろん、読み取り方の正解は1つではありませんが、かといって読む側の数だけ読み取り方があって良いという性質のものでもありません。

 

 私が読み取り方として気になった点は以下の3点です。

1 「合格率」の解釈

 この祝辞では医学部入試を題材とし、「合格率」を統計指標として使用して論を組み立てています。しかし「合格率」の定義は示されていません。各報道で既に報じられていることから公知の事実ともいえるかもしれませんが、発話者自身も述べるとおり、統計の解釈には注意が必要で、必ず指標の定義、つまり計算方法を確認、理解しなければミスリードに陥る危険があります。

2 祝辞の前半と後半との整合性

 この祝辞では前半において女子受験生の偏差値の男子受験生に対する優位性について述べています。これに対して後半ではフェミニズムについて述べています。私が最初に祝辞を読んだときには、これらの整合性がとれないような感覚に陥りました。そして何度も読んだ結果、発話者の論の構造を推測し(正確かはわかりませんが)、整合性は取れないわけではないと考えるに至りました。私が間違えているかも知れないので不安ですが、皆さん、よく読んで考えてみてください。

3 祝辞が全体として述べたいこと

 この祝辞は時間の関係上、多くの「前提」を省略しながら述べられています。そのため、部分的に読んだり、1回読んだだけでは全体として述べたいこと、つまり真意を理解することが極めて困難です。入学式に出席した新入生やその保護者は1回聞いただけなので、その場では理解できなかったのではないでしょうか。前半だけ聞いて後半を聞かなかったり、反対に最後だけ聞いて理解したつもりになってしまっている可能性もあります。いずれにしろ真意を理解するためには統計資料も参照しながら何度も読み返す必要があると思います。

 この祝辞に対して総長式辞は、これから東京大学で学ぶ新入生のためのカリキュラム説明や社会で活躍する先輩の話などが盛り込まれ、希望に満ちた内容になっているように思われました。

 入学式全体としてみれば、祝辞で気を引き締めて、総長式辞で希望を抱かせる内容になっており、非常にバランスが取れた内容だったのではないでしょうか。

投稿者:河野邦広法律事務所

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