2019.03.14
昨年、ホームページを開始してから、まともにブログを更新せず、時間だけが経過しました。正直なところ、真面目な話題を書くべきなのか、砕けた内容の方が良いのか迷いました。そして考えた挙げ句、やはり最初は真面目な内容にしようと決めました。
私の個人的な考え方に対してはご不満を抱かれる方もいらっしゃるかも知れませんが、広い心で受け止めていただければ幸いです。
最近、親による子どもの虐待事件が連日のように報道されています。他方、児童相談所の建設について賛否入り乱れる様子も記憶に新しいです。また角度を変えてみると相対的貧困の問題も注目された時期がありました。
これらの報道ではいずれも子どもが被害者となり、また我慢を強いられる立場になっています。
このような場合、子どもを保護しよう、良い生育環境にしよう、と考えることについて異論はないと思われます。
しかし、この考え方が当然すぎることとして固定してしまい、思考が放棄されていないか、不安になることがあります。
子どもを保護するにしても、実際に監護している親のもとから子どもを離脱させることは大変な困難を伴います。無理をすれば子どもの心に傷をつけることもあります。手続の問題もあります。特に緊急の場合を除けば法の手続にしたがわなければ行政機関は動けません。昨今の議論においては、こういった様々な困難について想像を巡らすことなく、簡単に子どもを保護できると考えられているのではないかと感じます。その結果、現場で対処している方々に過剰な非難が向けられることもあるのではないかと思います。言語道断の対処は別として、判断が難しいことや手続上の問題があることについて思考を巡らせる必要があるのではないかと思います。なお、子どものためには、虐待が起こらないことが理想なのはいうまでもありません。
また貧困の問題にしても、収入の低い世帯に金銭を給付する政策ばかりが話題に上がりますが、それが本当に実効的か、真に子どものためになる方法は他にないかがあまり検討されていないように思われます。もちろん、この点について政策を提案している政治家の方などは存在すると思いますが、そういった政策がクローズアップされないことに問題があります。子どもを守れと叫ぶ社会は本当に子どものことを真剣に考えているか、疑問といわざるを得ません。
子どもの幸せとは何か。
私を含め、あまり深く考えずに賛否両論を勝手気ままに述べていないでしょうか。
私は人の幸せは「選べること」であると考えます。憲法上規定されている「選べること」には、「選挙権」(憲法15条1項)があり、「職業選択の自由」(憲法22条1項)があります。「配偶者の選択」も憲法に規定されています(憲法24条2項)。その他、人生において「選べること」は数多くあります。現代では当たり前になりましたが、「自分で選ぶこと」は昔はほとんど認められなかったのです。
これに対して子どもはどうでしょうか。子どもには選挙権はありませんし、職業を選択することもありません。配偶者の選択もできません。その他、生活において「自分で選ぶこと」はあまりありません。
そして、子どもは生まれる家や親を選ぶことができません。だからこそ親による悲劇は選ぶことができなかった子どもにとっての最大の不幸ともいえるのではないでしょうか。
では選ぶことができない子どもにとっての幸せとは何でしょう。
一つは、子どもが将来選ぶことができるようになるための知識や能力を身につけられることです。これは教育を受ける権利(憲法26条1項)などによって実現すべきことであり、将来においてその幸せに気付く類いのものでしょう。そして子どもの頃において大きな意味があるこの幸せが、ある意味「子どもの幸せ」だと思います。
もう一つ、忘れてはならない幸せがあります。
それは、大人と共通する幸せであり、単純に「生きていると実感すること」です。究極的には死の危険にさらされないことであり、通常は苦痛や貧困から遠ざかることです。憲法も「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条1項)を規定し、子どもについては特に「児童は、これを酷使してはならない。」(憲法27条3項)と規定しています。また忘れられがちですが、憲法25条2項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定して、いわば貧困を予防することを国家に求めています。
この幸せは忘れられがちです。それは大人自身が自分の幸せを実感できずに忘れてしまっているからです。この根源的な幸せを実感できない大人は子どもにもそれを与えることができません。それは悪意によるのではなく、忘れているのです。その結果、子どもを虐げ、苦痛を与えてしまうのです。これは決して虐待する親を擁護するのではありません。本気で子どもの虐待をなくしたいのであれば、こういった観点からの対策も考えるべきではないでしょうか。
繰り返しになりますが、子どもの幸せは最低限、大人の幸せと同じです。
そして親が幸せを実感できる環境を整えることで子どもの幸せが実現できます。
実現には時間がかかるかもしれませんが、本来は憲法が目指していたはずの国家・社会像です。
(憲法前文より抜粋)
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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