2021.06.07
織り込み済み
意味:計画や予算などに,ある事柄や条件などを検討のうえすでに取り入れてあること。
報道によると,ある経済関係の方がテレビ番組において,分科会の座長がオリンピックを開催できる状態ではないと発言したことについて越権行為であると批判し,オリンピックを開催すべきであるという発言をした上で,開催すべきでないという世論が誤っている,という発言をしたとのことです。
この報道を目にして気になったことがあります。
まずは分科会がオリンピックの開催について発言することが越権行為なのか,ということです。そもそも分科会はコロナウィルスの感染を抑制し,終息させるために専門的な知見を集約して政府に対して意見を述べる機関(集団)であり,政府は分科会の意見に基づく各種情報を織り込んで政策を立案します。そしてコロナウィルスの感染状況がオリンピックを開催するか否か,開催する場合にその方法をどうするかに影響することも明らかであり,政府はそのような立場に立って,常に分科会とともに政策発表をしてきました。したがって分科会がオリンピックの開催または開催する場合の方法について意見を述べることは権限の範囲内であると思われます。よって,分科会の座長の発言には問題がないと考えられます。むしろ今回,政府が急に分科会と別の専門家を持ち出したことの方に問題があるのではないかと思います。その専門家とは誰で,どのような手続で任命等されて,いつから政府に意見を述べていたのでしょうか。
次にオリンピックを開催するか否かの問題です。報道ベースでは,前述の発言者がオリンピックを開催すべきであると考える理由は,日本が世界に対してオリンピックを開催すると言った以上,日本国内の事情で開催しないわけにはいかない,ということらしいです。この発言はオリンピックを開催しない場合の理由を「日本国内の事情」に限っているため,国外の事情については織り込んでいないということになりますが,正しいのでしょうか。現時点においてワクチン接種によって感染の拡大が抑制傾向にある国は増加しているように見えるものの,ワクチンを確保できているのは開発した国や経済的に裕福な国に限られているようです。オリンピックの参加国は200か国くらいありますので,それらの国の少なくとも参加選手,同行スタッフの全員がワクチン接種を受けるなどして感染のおそれが極めて低い状態になっている必要があります。そもそもこの問題をクリアできるかが疑問です。またオリンピックの参加選手数は1万1000人以上が予定されており,IOC関係者が3000人,NOC関係者が1万4800人,その他スタッフ含めると全体で5万9000人の流入があるとされています。これらの人の行動を完全に把握して制限し,感染を防止することは至難の業でしょう。感染の防止に失敗した場合,日本国内で感染が広がることはもとより,感染者が母国に帰って感染源となるおそれもあるわけです。このようにオリンピックを開催することの危険因子やリスクは日本国内の事情に限らず,世界全体に渡るのです。したがってオリンピックを開催しない場合の理由を日本国内の事情に限る前記発言は前提を誤っていると言わざるを得ません。
このような報道を前提とした上で疑問が湧くのは,政府(や都)がどの程度の危険因子を織り込んでオリンピックを開催しようとしているのか,ということです。
前記の国内での感染拡大については大前提の問題点なので政府も当然織り込み済みであるとは思いますが,感染が拡大しても後で理由を付けてオリンピック開催との因果関係を否定するのが目に見えています。
これに対して帰国した選手,スタッフやIOC,NOC関係者が感染源となって他国で感染が拡大することについては,しっかりと織り込んでいないのではないかという疑いがあります。そもそも政府は安心・安全を前提とした開催を宣言していますので,感染が拡大してしまった場合を想定した議論をしにくい立場にあることは理解できます。しかし前記のように開催国の責任という点を強調するのであれば,日本が起点となって感染拡大を引き起こすことはあってはならないでしょう。万が一,オリンピックが原因となって変異ウィルスが発生し,海外で感染が拡大した場合,「日本株」「東京株」「東京オリンピック株」などとレッテルを貼られる可能性もあるわけです。こういった危険はあまり考慮されていないように思われます。日本国内であれば権力への忖度が期待できますが,海外には期待できません。好き放題叩かれる可能性もあります。その時,政府はどのような対応をするのでしょうか。「東京オリンピック株など存在しない。反日勢力によるデマだ。」とか,「日本で変異したことの証明がない。」とか,日本国内では押し通せた論法も海外のメディアに対しては通じないと思います。このようなことが起こった場合にはオリンピックを中止した場合以上の不名誉になってしまいます。
このようなことが起こらないことがベストであり,起こってしまってからでは遅いのですが,起こってしまった場合の対応についても考えていただきたいと思います。また,海外からの批判があった場合に国会答弁のような対応をして国際的に恥をかくことがないよう祈っています。
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2021.06.04
2021年6月1日から緊急事態宣言が再延長されました。
今回の緊急事態宣言は2021年4月25日に始まり,同年5月12日に延長となり,今回の再延長となりました。再延長の期間は同年6月20日までとされています。結局,今回の緊急事態宣言も2か月に及ぶこととなり,小出しの宣言は裏目に出たように見受けられます。
今回の緊急事態宣言が再延長されるにあたって,「こらえどころ」との言葉が報道されました。私はこの言葉を報道で最初に見たとき一瞬読めませんでした。「何だろう?」と不思議に思いました。そしてアナウンサーが読み上げるのをよく聞いて,やっと意味がわかりました。「耐えるべき時機」という意味だったのか,と理解しました。私の眼には「こらえどころ」という文字は見えていたのですが,ひらがなが並んでいるようにしか見えなかったわけです。
このようなことが為政者と国民の間にも生じているのではないかと,ふと思うことがあります。つまり為政者の眼に見える国民は本当に私たちなのだろうか。私が「こらえどころ」をひらがなの羅列にしか見えなかったように,為政者の眼に見えている国民は,単なる人の集団,または人ですらない何かでしかないのではないかと思うことがあるのです。
昨年以来,緊急事態宣言が出されるたびに政府や首長や医師会会長などの方々が「こらえどころ」と同じような言葉を述べていたと記憶しています。
瀬戸際,正念場,我慢,ヤマ場,勝負,真剣勝負,こらえどころ・・・・・・。
「もういい加減にしてくれ。」
そのように思った方も少なくないと思います。為政者たちは感染の終息に向けて政策を打ってきたかもしれませんが,その時の為政者たちが見る目線の先には何があったのか。
国民はそのことを敏感に感じ取り,遅まきながら政府の姿勢を批判する声が上がりつつあります。しかしその声が政府に届いているとはとても思えず,国民は疲れ切って無力感にいらだっているように見えます。そんな疲労困憊の国民に,さらに大きな試練が待ち受けています。現在の報道を見る限り,オリンピック開催は既定路線とされてしまっているようです。信じられないことにパブリックビューイングも予定されているとの報道もあります。オリンピック開幕の1か月前まで緊急事態宣言が延長されるというのに,開幕時にはパブリックビューイングで人が集まって良いというのは腑に落ちない方が普通だと思います。おそらく「席の間隔を空ける」「大きな声を出さない」といったルールを作るのでしょうが,それならば飲食店も席の間隔を空けて会話しなければ営業しても良かったのではないかと疑問が湧きます。また声を出さないパブリックビューイングに何の意味があるのかも疑問です。それならば家のテレビで見た方がよっぽど面白いと思います。
パブリックビューイングを中止したとしても,問題がないわけではなく,日本人選手が活躍すれば渋谷あたりで人混みが騒ぐのは経験から充分予測できます。そういった危険因子を政府や都は全てつぶすことができるのか。できなければ分科会が指摘するように感染拡大は確実です。それでも危険を冒して通常状態に近いオリンピックを開催しようとする政府や都には国民の存在が見えていないのではないかとさえ思えます。政府や都にとって国民は統計的に抽象化された数値,または富岳のシミュレーションに登場する灰色のポリゴン像と同じようなものなのではないでしょうか。数値もポリゴン像もコロナウイルスに感染することもなければ,解雇や廃業もありませんから,為政者らの頭の中にコロナウイルスに感染して苦しみ死に至る国民や,解雇や廃業によって生活ができなくなり,場合によっては死を選ぶ国民がよぎることもないわけです。ここまで軽視されれば,オリンピック開催中,開催後に感染者数が増加した時,我慢強いとされる日本国民でも,さすがに堪忍袋の緒が切れるのではないかと思います。
オリンピックの後には衆議院議員選挙が控えています。その時には,これまでの経緯を踏まえた政策評価をした上で厳しい態度で投票行動を採らなければならないと思います。
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