弁護士ブログ

為政者たちの眼に国民は見えているのか

2021.06.04

 2021年6月1日から緊急事態宣言が再延長されました。

 今回の緊急事態宣言は2021年4月25日に始まり,同年5月12日に延長となり,今回の再延長となりました。再延長の期間は同年6月20日までとされています。結局,今回の緊急事態宣言も2か月に及ぶこととなり,小出しの宣言は裏目に出たように見受けられます。

 今回の緊急事態宣言が再延長されるにあたって,「こらえどころ」との言葉が報道されました。私はこの言葉を報道で最初に見たとき一瞬読めませんでした。「何だろう?」と不思議に思いました。そしてアナウンサーが読み上げるのをよく聞いて,やっと意味がわかりました。「耐えるべき時機」という意味だったのか,と理解しました。私の眼には「こらえどころ」という文字は見えていたのですが,ひらがなが並んでいるようにしか見えなかったわけです。

 このようなことが為政者と国民の間にも生じているのではないかと,ふと思うことがあります。つまり為政者の眼に見える国民は本当に私たちなのだろうか。私が「こらえどころ」をひらがなの羅列にしか見えなかったように,為政者の眼に見えている国民は,単なる人の集団,または人ですらない何かでしかないのではないかと思うことがあるのです。

 昨年以来,緊急事態宣言が出されるたびに政府や首長や医師会会長などの方々が「こらえどころ」と同じような言葉を述べていたと記憶しています。

 瀬戸際,正念場,我慢,ヤマ場,勝負,真剣勝負,こらえどころ・・・・・・。

 「もういい加減にしてくれ。」

 そのように思った方も少なくないと思います。為政者たちは感染の終息に向けて政策を打ってきたかもしれませんが,その時の為政者たちが見る目線の先には何があったのか。

 国民はそのことを敏感に感じ取り,遅まきながら政府の姿勢を批判する声が上がりつつあります。しかしその声が政府に届いているとはとても思えず,国民は疲れ切って無力感にいらだっているように見えます。そんな疲労困憊の国民に,さらに大きな試練が待ち受けています。現在の報道を見る限り,オリンピック開催は既定路線とされてしまっているようです。信じられないことにパブリックビューイングも予定されているとの報道もあります。オリンピック開幕の1か月前まで緊急事態宣言が延長されるというのに,開幕時にはパブリックビューイングで人が集まって良いというのは腑に落ちない方が普通だと思います。おそらく「席の間隔を空ける」「大きな声を出さない」といったルールを作るのでしょうが,それならば飲食店も席の間隔を空けて会話しなければ営業しても良かったのではないかと疑問が湧きます。また声を出さないパブリックビューイングに何の意味があるのかも疑問です。それならば家のテレビで見た方がよっぽど面白いと思います。

 パブリックビューイングを中止したとしても,問題がないわけではなく,日本人選手が活躍すれば渋谷あたりで人混みが騒ぐのは経験から充分予測できます。そういった危険因子を政府や都は全てつぶすことができるのか。できなければ分科会が指摘するように感染拡大は確実です。それでも危険を冒して通常状態に近いオリンピックを開催しようとする政府や都には国民の存在が見えていないのではないかとさえ思えます。政府や都にとって国民は統計的に抽象化された数値,または富岳のシミュレーションに登場する灰色のポリゴン像と同じようなものなのではないでしょうか。数値もポリゴン像もコロナウイルスに感染することもなければ,解雇や廃業もありませんから,為政者らの頭の中にコロナウイルスに感染して苦しみ死に至る国民や,解雇や廃業によって生活ができなくなり,場合によっては死を選ぶ国民がよぎることもないわけです。ここまで軽視されれば,オリンピック開催中,開催後に感染者数が増加した時,我慢強いとされる日本国民でも,さすがに堪忍袋の緒が切れるのではないかと思います。

 オリンピックの後には衆議院議員選挙が控えています。その時には,これまでの経緯を踏まえた政策評価をした上で厳しい態度で投票行動を採らなければならないと思います。

投稿者:河野邦広法律事務所

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