2019.07.25
先日のブログ記事(憲法を楽しく読む(1))で,「誤解される」「よく質問を受ける」ことがあるということを書きました。これを書いた箇所は憲法の刑事手続に関する条文について触れたところでした。つまり誤解されたり,よく質問を受けたりするのは,刑事弁護についてです。
友人などに「弁護士をやっている。」と近況報告をすると,大概される質問が「専門は?」と「刑事もやるの?」というものです。前者については,また後日お話しするとして,後者について「刑事ももちろんやるよ。」と答えると,その話の中でさらに出てくる質問が「弁護士って,何で犯罪者を守るの?」といったものや,過去の私を知っている人だと「学生の頃は正義の味方だったのに,何で悪い人の方の味方になっちゃったの?」という人もいます。なお,この質問はおそらく,無罪弁護については理解できるものの,有罪が決まっている情状弁護については理解できない,という趣旨であると解釈します。
弁護士であれば一度は聞かれたことがあるこの質問ですが,聞かれる度に「自分は世間的に悪いことをしているのか?」と悩みます。それと同時に刑事弁護(特に有罪ありきの情状弁護)の意味をわかりやすく,説得的に説明することの難しさも感じます。
なぜ弁護士は犯罪者を弁護するのでしょうか。
これを理解するためには,まず弁護士制度の歴史を振り返り,弁護士制度における刑事弁護制度の歴史,位置づけを知る必要があります。その上で憲法の条文を見てみると自ずとわかってくると思います。
(つづく)
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2019.07.12
夏の参院選を控え,マスコミが特集を組むかと思いきやそうでもなく,芸能関係のニュースが目立ちます。マスコミは国民を写す鏡とばかりに国民の国会に対する興味は表面的になり,閣僚の失言や野党の審議拒否に対する誤解に近い批判がネットにもあふれています。国民の国会に対する興味が失われる原因として国会における議論が充実していないということもあるのではないでしょうか。
特に最近のニュースで流れる質疑(質問),証人喚問,参考人招致などは噛み合わないものがほとんどのように感じます。なぜ国会の質疑等が,こうも噛み合わなくなってしまったのでしょうか。
質疑等が噛み合わない基本的な原因は,拙い質問と論点ずらしの答弁にあります。
質問の拙さについては構造上,ある程度やむを得ない部分もあります。そもそも質問事項は予め回答者側に開示されるものであり,回答者は入念に準備してから回答します。また回答者の後には官僚が控えており,回答内容を回答者に伝えることもあります。そのため質問者が回答者を「崩す」ことは至難の業です。反対に言えば,国会の質問に回答できない閣僚は準備を怠っていることになり,非難されてもやむを得ないかもしれません。
他方,論点ずらしの答弁については既に複数の知識人が指摘していますが,手法が決まっています。「複数の解釈が可能な言葉を質問者の意図と異なる意味に解釈し,そのことを秘したまま回答する。」というものです。この手法については対策方法がないわけではありません。複数の解釈が可能な言葉を不用意に使用しないことと,複数の解釈が可能な言葉を使用するときには冒頭で定義して共有することです。とはいえ,短い質問時間の中でそういった時間を取ることは難しいかも知れません。
最近,論点ずらしの答弁について巧みな答弁かのような趣旨でマスコミが報じることがありますが,誤っています。国会議員は国民の代表者であり,内閣は国会の信任に依拠して成立するものです。ですから,国会議員の質問に対して論点をずらして回答するという行為は国会議員の後に控える国民を愚弄する行為であり,批判されなければなりません。また論点ずらしの答弁をされた国会議員が野党議員であっても,与党議員は「国会(国民)軽視」という理由で抵抗しなければなりません。この点については反発される方も多いかと思います。しかし内閣と国会は本来,相互に牽制し,緊張関係を維持していなければなりません。国会議員は与党議員であっても全国民のために(憲法43条1項、15条2項)内閣を監視して抑制しなければならないのです。
こういった本来的な国会の機能が不全に陥っていることが現在の国会の空転を招いているように思われます。
論点ずらしをされたときには,我々国民全体が馬鹿にされているのだということを今一度,確認する必要があると思われます。
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