2019.12.11
最近,「桜を見る会」をめぐる報道を多く目にします。正確にいうと,「桜を見る会」及び「『桜を見る会』の前日に行われた夕食会」(以下「夕食会」)が問題になっています。
情報を冷静に観察すると,問題を「桜を見る会」の規模や招待客の属性の方向に持って行きたがる勢力と,「夕食会」の方向に持って行きたがる勢力に分けられるようです。現在は,とある会社と絡めて招待客の属性の方に報道が引っ張られつつあります。さて,これで良いのでしょうか。
個人的には夕食会の方を優先して検討すべきかと思います。
なぜか?
時系列順です。
先の文章に何かを感じた方,時系列以外のことが浮かんだ方,その感覚は正しいと思います。
桜を見る会の問題も,夕食会の問題も,これまでであったらどちらも辞職レベルの問題になり得たように思われます。ところが現在の報道でコメントする方々は「何が違法なのか」などと言う始末です。違法でなければよいというならば,これまで辞職した大臣や国会議員の多くは辞職しなくてよかったはずです。コメンテーターはこれまで辞職しなくてよかった方々のイメージを貶めて,評価を低下させて辞職に追い込んでいたといっても過言でないでしょう。こういったコメントを述べる方は問題の本質から国民の目をそらせたい方なのかと勘繰ってしまいます。出来事をつぶさに検討する前から,誰も言っていない「違法性」を持ち出すような迂闊なコメンテーターにだまされないように注意しなければならないと思います。
報道だけを見ると政権側の対応が酷いように感じられます。名簿をシュレッダーで廃棄したことに始まり,データもないと言い,データは行政文書(公文書)ではないとまで言っています。そして触れる必要性があまり感じられない障害者雇用を持ち出して弁解する辺りはさすがに黙っていてはいけないのではないかと思わされました。また,事実か否かはわかりませんが,与党の方々は「首相が逃げ勝った」という趣旨の発言していると報道されています。この発言が事実だとしたら,首相が悪いことをしたと認めていることになります。何もないなら「痛くもない腹を探られた」とか,一貫して「潔白」のコメントが出なければおかしい。そして「無駄な時間を費やした」という言葉が続かなければおかしい。長期政権ゆえの緩みか,取り返しの付かない失言が公にされ,そのことに当事者が気付いていない状態です。
私はでき得る限り中立を意識して,政治家の失言やスキャンダルを過大に評価しないように心がけているのですが,前記の発言を見て,今回ばかりは政権与党と関係省庁が国民と真っ直ぐ向き合うまで,問題を有耶無耶にしてはいけないと思ってしまいました。政権与党はこの問題について少しふざけすぎてしまったのではないでしょうか。
現在,野党が行っている追及は国政調査権(憲法62条)に基づくものと考えてよいでしょう。注意すべきは,国政調査権は国会の権能であり,野党のみならず与党も行使することができ,かつ行使すべきであるということです。与党がこの問題について向き合わないのであれば憲法の趣旨に反することはもとより,政党としての自浄作用がないことを自認していると言わざるを得ません。与党が自陣の正当性を示すためにも,与党の支持者こそが,この問題について(客観的に)理解できるまで支持政党に説明を求めるべきでしょう。今は「他に議論しなければならない法案がある」「無駄な時間を費やすな」と言いたいところでしょうが,今,解消しなければ長期的には膨大な「無駄な時間」を費やすはめになる可能性もあります。小さな「無駄な時間」や「無駄と感じられる時間」があってこそ国民による政権の監視が有効になるのです。
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