弁護士ブログ

見えないところ

2022.07.21

 令和4年7月8日,安倍晋三氏が街頭演説中に銃撃され亡くなりました。

 当日と翌日はセンセーショナルかつ過剰に報道されていましたたが,現在では宗教団体の話にすっかりすり替わってしまいました。

 犯行動機が報道され,それなりの説得力を感じる人が多いようです。しかし被疑者が宗教団体を憎んだとして,その宗教団体と被害者との間に関係があったとして,その被害者の影響力が強かったとしても,被疑者が被害者の殺害を決意するには相当の飛躍があります。この辺を誤魔化さずに捜査なり,弁護の過程で明らかにすることが,この事件との本当の意味での向き合い方なのではないかと感じています。

 もちろん被疑者にとっては一つの合理的な物語として成立しているのかもしれません。被疑者の人生,人格のわずかな部分しか情報を得られない我々にとって,被疑者の口から出てきた言葉だけでは見えないところが多すぎます。

 私たちは被疑者や他人のことが見えませんが,それ以上に自分のことが見えていないことも事実です。自分を見ることとは,外面的には鏡などの映像を見ることですが,内面的には思考を深めることです。我々は鏡などがなければ自分の像を見ることができず,思考を深めなければ自分を形作る思想等を認識することができません。よく「立体的な思考」ということがありますが,物事や思想を複数の視点から捉えて像として構築するという意味では思考を深めることと同様です。

 しかし,こういった思考ができる人間は限られています。学歴を重ねた方々でもできない人は多いように感じます。かくいう私もできているかはわかりません。

 さらに人間は時間が加わるとさらに自分が見えなくなります。時間をおいて自分の思考が矛盾することを自覚することができないのです。

 最近ではTwitterなどの普及によって,気軽に自分の意見を発信することができるようになりました。気軽な発信ほど一時の感情等に流されているものが多く,後日,矛盾した内容が発信されていることは多くあります。こういった矛盾はいわゆる評論家や知識人にも増えていて,過去に発信した内容と矛盾したことを言っている人は多くいます。その多くはよく調べもせずに敵対している方々を攻撃し,後日調べてみたら違った,というものです。知識人は矛盾に気付くと言い訳をするのですが,それが返って見苦しく見えます。

 今回の件でも,安倍氏が襲撃されたのは,安倍氏を否定する人々が被疑者を洗脳したからだ,というとんでもない意見が平気で流布されていました。しかし結果は皆様ご存じのとおりです。もちろん,今の結果が後日覆ることもあるので,発信は慎重にしなければならないと思う次第です。

 今回の件で私たちには見えないところで苦しむ人が存在し,それが明らかにされず,救われもせず放置されている現実が明らかになったともいえます。また日本の政治の見えないところが初めて公になったともいえると思います。今回の件を簡単に終わらせることなく,社会を良い方向に進むきっかけにしてほしいと思っています。

投稿者:河野邦広法律事務所

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